Ending. 駅のホームには、勅使河原が乗る予定の新幹線がすでに入って来ていた。車内清掃も終わったらしく、出入り口のドアは開いている状態だが、勅使河原は座ったベンチから動こうとしなかった。 「一週間なんてあっという間やね」 そう呟いた勅使河原の声は、どこか寂しげな気配を漂わせていた。 「でもむっちゃ満足したわ。スカイツリーも東京タワーも行ったし、何より秋葉の電気街は俺にとっちゃ天国やった。あっこはまた行きたいなあ」 「またいつでも来てくださいよ。今度来るときは、うちでよかったら泊まって行ってください」 一度でいいから勅使河原を自分の家に招きたいと考えていた司だったが、結局この一週間のうちにそういう機会は訪れなかった。家に上げたからといって何か特別なことがあるわけじゃないし、ホテルのほうが快適かもしれないけれど、自分の生活空間に勅使河原がいてくれると何かが満たされるような気がした。 「そうさせてもらうわ。司も来月ほんまに俺んとこ来るんやろ?」 「行きますよ。だから部屋ちゃんと掃除しててくださいね」 「善処致します」 昨日、司は瀧に告白をし、そして勅使河原は三葉に告白した。もちろんどちらも振られる結果に終わって、そのあと二人で慰め合った。そして変に興奮した気持ちが落ち着いた頃に、勅使河原から交際を申し込まれ、司はそれを了承したのだった。 心の中で瀧に巻き付いていた糸は、想いを告げた瞬間に解けていた。それで完全に気持ちがなくなったわけではないけれど、新しい恋に進むための一歩を踏み出す弾みを司は与えられた。 決意して飛び込んだ恋は、どこへ向かっていくのかまだわからない。もしかしたらいつか勅使河原が女と結婚したいと言い出して、別れてしまうような未来があるかもしれない。そういう不安は心の隅にあったけれど、たとえ傷つく未来があったとしても、この人のそばにいたいと思えるほどに司は勅使河原のことが好きだった。 きっとそれはもう、瀧を想っていた気持ちよりも大きい。こうして隣に座っているだけで、愛おしさが湧き水のように溢れてくるのが自分でもわかった。 「遠いな、東京」 勅使河原が呟く。 「いっそ飛騨に来んか? 俺が面倒見るから、一緒に暮らすに」 「そうできたらいいなって思うけど、俺は結構東京が好きだし、仕事も好きでやってるものだから、まだできません。でもいつかはそっちで一緒に暮らしたいな」 お互い年老いてしわくちゃになっても、寄り添って生きていけるような関係になりたい。いつまでも手を繋いで歩いて行けたらいいなと、勅使河原の横顔を見ながら司は本気で思っていた。 おいしょ、と勅使河原が勢いをつけて立ち上がる。腕時計を見ると、発車時刻の三分前になっていた。 「行きますか?」 「おう。名残惜しいけど、乗らんわけにもいかんしな」 大きなキャリーバッグを引きながら、勅使河原は乗り口のドアをくぐる。司はそのすぐ前まで来て、こちらを振り返った彼の顔を、目に焼き付けるようにじっと見つめた。 「司、いろいろありがとな。ほんでこれからもよろしく頼むわ。俺、付き合ったこととかあんまないから至らんところもあるかもしれんけど、一緒にいたってくれよ」 「お礼を言うのは俺のほうですよ。テッシーさんに出逢えて本当によかったです。来月絶対行くんで、待っててください」 「おう。待っとるよ。待っとるから、絶対来るんやぞ」 「絶対行きますよ。テッシーさんに逢いに行きます」 勅使河原も司のことをじっと見つめていた。特徴的な坊主頭に、男らしい顔立ちに、細いが綺麗に引き締まった身体。優しくて、温かくて、司を好きと言ってくれる大事な人。それが、司が好きになった、勅使河原克彦という男だ。 まだまだ知らないところもある。けれどそれはこれから少しずつ全部知っていくことになるだろう。気に入らない部分もあるかもしれないが、それ以上に好きだと思える部分がきっとたくさん見つかるはずだ。 『十四番線の列車が間もなく発車します』 アナウンスが余命を宣告するみたいに聞こえた。あとはドアが閉まれば勅使河原にはもう触れられなくなる。次に逢えるのは三週間後。それまではこちらで、一人で生きていかなければならない。 ふいに寂しさが込み上げてきた。勅使河原を見ると、彼もまた寂しそうに眉を垂れ下げていた。 「好きやぞ、司」 そして、想いを乗せた言葉が司の鼓膜を震わせる。その瞬間に、司の身体は勝手に動き出していた。ずっと探していた何かを求めて――ようやく見つけた大切な人を求めて。 乗り込んだ瞬間に、背中のドアがシューと音を立てながら閉まった。目の前には驚いた顔をした勅使河原がいた。 「あ、あはははは……」 勅使河原だけじゃなくて司まで乗せた新幹線は、ゆっくりと動き出す。とんでもないことをしたなと自分でも思ったが、もう乗ってしまったものはどうしようもない。 意味もなく笑った司に対し、勅使河原が至極静かだった。ひょっとして勢いのままに行動した自分に呆れただろうかと心配になるが、次の瞬間、司は強くて温かい抱擁に包まれていた。 「もう離さんぞ」 耳元でした声は荒っぽく、それでいてどこか愛情を滲ませたような、切ない響きを持たせたものだった。 「絶対にもう離さん。それでええんか?」 「……構いません。だって俺も、あなたのことがすごく好きですから」 人を好きになる喜びも、そしてその想いが届かず終わってしまう切なさも、司は痛いほど知った。けれどここから先は未知の世界だ。愛し合い、手を取り合いながら生きていくことがどんなものなのか、恋人という関係がより深くなっていくことがどんな感覚なのか、今の司はまだ知らない。だけどそれはきっととても素晴らしいことで、幸せに溢れていることなのだと信じている。 一瞬だけ、実らなかった恋のことを振り返る。綺麗な結末を迎えた長い片想い。実らなくても、今はもう感謝の気持ちばかりが司の胸に浮かんでくる。 (幸せになれよ、瀧) そして、結婚式のときに本心からは言えなかったその言葉を、幕を閉じた片想いの相手に司は捧げた。 |