02.壊れるのが怖いんだ


良ちゃんへ
おはよう。今日はいい天気だねv
僕は仕事に行ってきます。帰るのは夕方の六時ごろになりそうです。
朝御飯は用意しておいたから食べてね。
それからこれは気が向いたらでいいんだけど、午後四時くらいに乾してある洗濯物を取り込んでおいてほしいのです。
あ、お昼御飯は適当に買ってきて食べてね。
もしお家に帰るんだったらこの紙になんか書いておいてください。
そんじゃいってきまっすw
蜻蛉とんぼより

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 朝起きてリビングに行ってみると、こんな手紙が置いてあった。朝一番に蜻蛉の爽やかな微笑を見られると思ったのに、残念だな。もっと早く起きればよかった。
 居間は午前八時半頃。蜻蛉はいったい何時に出て行ったのだろう。
 さて、朝飯を食べようか。手紙に書いてあったとおり、ダイニングの机に朝飯のパンといり卵とサラダが置いてあった。おれはいつも朝は食パンしか食わないから、なんか豪華に見えるなあ。それにとても美味しそう。

「いただきます」

 誰もいないのにこれを言うのはなんだったけど、やっぱり食べる前には言べきだよな。とくに作ってくれた人に感謝の気持ちを込めなきゃ。
 おれは昨日寝る前に気がついたんだ。蜻蛉のことが好きなんだ、って。友達として、じゃなくて一人の男として好きだ。男が男を好きになるっていうのはやっぱり自分では変だな、と思うけど、好きなものは好きだからしょうがない。少し変わってはいるけど恥ずかしいことじゃないと思う。ただ周りがそれを認めないだけで、おれに直接害があるわけじゃないしね。でも蜻蛉に害があるかというと、どうなんだろう。おれはゲイで彼が好き……だけど彼はおれのことを好きじゃないとしたら? それに彼は普通の男だから女を好きになるのが常識……おれの気持ちは彼にとって害にしかならないのかな?
 すごく苦しかった。好きなのにこの想いを伝えることもできないんだ。言ってしまえば蜻蛉との大切な何かが壊れてしまう気がして怖いから。
 朝飯を早々と済ますと、食器を流しに持っていく。だけどこれを蜻蛉に洗わせるっていうのはなんか気が引けるなあ。自分が使ったものは自分で洗う。うん、そうしよう。蜻蛉だって仕事で疲れて帰ってきて食器洗ったりするの嫌だろうしな。おれは慣れない手つきで皿を洗う。
 そのあとは顔洗ったり歯磨いたり着替えたりして、さっぱりしたあとに冬休みの宿題をすることにした。数学のプリント五枚と、理科のプリント二枚と、英語の単語予習を二十ページ。家にいるときはなんとなくやる気が起きなかったけど、ここだとなぜか集中してできた。
 昼飯はそこらへんのコンビニで弁当勝手適当に食った。
 さて、これから何しよう。宿題も終わったし、他にすることないし……。家に帰る気は一かけらもない。だってあの分からず屋の親が待ち構えてるんだよ? 帰った矢先に部活のことでガミガミ言われるに違いない。
 それにおれは蜻蛉のそばにいたいんだ。そしてもっと蜻蛉のこと知りたい。たとえ想いが伝えられないんだとしても、そばにいて、密かに好きでいるのは許されるだろ?
 それにしてもおれって幸せ者だな。好きな人の家に泊めてもらったり、いっしょに寝たり……普通の人じゃなかなか体験できないことを、おれはこうして体験している。そう思うとちょっとばかし得した気分だった。



 夕方、手紙にあったとおりにちゃんと洗濯物を取り込む。その洗濯物の中には蜻蛉の下着もあったり……おれはそれを顔に押し当てようとしたけど、ぎりぎりのところで理性が咎める。それじゃただの変態だもんね。
 それから間もなくして玄関のドアが開く音がした。すぐに蜻蛉だと分かって、おれは玄関に駆ける。

「おっかえり〜!」

 ただいま、と蜻蛉は笑う。その笑顔が見たかったんだよ〜。もう大好き……って気づいたらおれは蜻蛉に抱きついていた。

「わっ、ごめん」

 いきなり抱きつかれて驚いた様子の蜻蛉から離れる。すると蜻蛉は優しく微笑んだ。

「君は意外と甘えん坊なんだね」

 面白いものを見つけたような目で見てくると、ふとおれの頭を撫でてきた。

「そうやって人に触れられるのも久しぶり。なんか、嬉しいね」

 蜻蛉はリビングのほうへ去っていく。
 おれはただ呆然と立ち尽くしていた。なんかすごく蜻蛉が可哀想なんだ。両親がいなくて、学校では友達もいなくて、ずっと寂しかったんだと思うと可哀想で堪らない。でも半分嬉しかった。おれがいることによって寂しくなくなったんだな、って思えて。
 おれだって嬉しいんだよ。蜻蛉のそばにいられることが。

「洗濯物取り込んでくれてありがとう。あ、ついでに畳んでくれたんだね。助かるよ」
居候いそうろうさせてもらってるんだから、これくらいはしないとね」
「もう帰っちゃったかと思ったよ」
「そんなに簡単に帰ったりしないよ。ずっとここにいたいくらいだもん」
「こっちもずっといてほしいな」

 嬉しいこと言ってくれるなあ。そんなこと言われちゃうとずっとここにいちゃうぞ?

「さて、御飯作らなとね。嫌いなものがあっても無理やり食べさせるからね」
「覚悟しまっす」

 何作ってくれるんだろう? すごく楽しみだ。
 蜻蛉は慣れた手つきでお米をいだり野菜を切ったりしている。おれにも何か手伝えることは、って訊いたら、料理じゃなくて風呂の準備をしてくれと言われたので、そっちをする。
 それにしても蜻蛉って偉いよな。料理もちゃんと自分で作るし、その他の家事も全部一人でやってるんだから。更に仕事までしていて、ホント立派な社会人って感じだな。すっごく尊敬する。

「お〜わった」

 リビングに戻ってみると、何やら美味しそうな匂いが立ち込めていた。

「あっ、もしかしてカレー?」

 正解、とキッチンの蜻蛉が笑う。
 レトルトじゃなくてちゃんと野菜や肉を切るところからやるんだな。さすがだ。

「蜻蛉はいいお嫁……じゃない、旦那さんになりそうだね」
「うふふ、誰と結婚するんだろうね」

 少なくともおれとじゃないだろうな。男同士じゃ結婚できないし。

「結婚したい人とかいる?」

 蜻蛉は何か考えるように上を見ると、人差し指を自分の口に押し当てて、

「秘密」

 そう言って悪戯に笑った。

「もうずるい! 教えてくれたっていいじゃん」

 おれはついむきになって身を乗り出した。だって好きな人の結婚したい人――つまり好きな人の好きな人ってすごく気になるじゃん。

「そういう良ちゃんは結婚したい人はいる?」
「秘密だよ」
「ずるいね」
「蜻蛉だって秘密って言ったじゃん」

 それにしても良ちゃんって呼ばれるのなんか嬉しいな。一気に蜻蛉との距離が縮まったような気がする。

「――そういえば今日僕の友達も一緒に御飯食べることになってるんだ。よろしくやったね」
「あ、うん」

 友達、か。学校では蜻蛉と仲良くしているやつ見たことないけど、近所にはいるんだな。どんなやつだろ……。



 時刻は七時になろうという頃、ピンポーンというインターフォンの音とともに、玄関のドアが開く音がした。

「蜻蛉〜! 来たよ!」

 意外にも聞こえてきたのは女の声だった。
 もしかして蜻蛉の彼女とか? うっわぁ彼女いたんだ……。ちょっとガッカリした。――ってまだ蜻蛉の彼女って決まったわけじゃないだろ。それに蜻蛉は友達って言ってたし。
 だけどおれはその女の姿を見てますます蜻蛉の彼女じゃないかと疑った。
 歳はおれと同じくらい。身長は蜻蛉と同じくらいで、セミロングの黒髪で本当に美しい顔立ちをしていた。クラスの男子たちがもしここにいたらいきなりがっつきそうだな。
 蜻蛉と二人並んで立っているのを見ると、すごく絵になるっていうか、お似合いなんだ。それでなんとなく悔しかった。

「こんばんは」

 夜の森を思わせる静かな声だった。

「え〜と、崎芝くん、だよね。私は木村詩音しおん。よろしくね」

 笑った顔もまた一段と可愛い。おれはおずおずと頭を下げる。

「そろったところで悪いけど、僕お風呂入ってくるね。ちょっと汗かいちゃって」

 そう言うと蜻蛉は返事も聞かずに風呂場へ行った。
 っておれと木村さんを二人きりにする気ですか。一応おれにとってはライバルなんだけど……。あ、そうだ。木村さんなら蜻蛉の仕事のこととかいろいろ知ってそうだから、彼女に訊いてみよう。でもいきなりその話から、っていうのは気が引ける。

「木村さんは何歳?」
「君と同い年だよ。ちなみに学校は××商業で〜す」
「へぇ。じゃあうちの学校と結構近いじゃん」

 もしかしたら道ですれ違ったりしたこともあったかも。

「最初は私も君たちと同じ高校に行こうと思ったんだよ。でも親がああだこうだってうるさいから、結局無理に商業を選んだの。本当に、親って嫌だわ」

 分かるなあ、その気持ち。おれも親にいろいろ言われてサッカー部に入らされたし。そして現在とても苦しい思いをしている。辞めたい、と言っても辞めさせてもらえない。
 それを話すと、木村さんは同意するように何回も頷いた。

「親って自分の意見ばかり言って私たちのこと何も分かってないのよね。苦しい思いをするのは私たちなのに」
「だよね。自分の考えを子どもに押し付けて、それで自分はでかい態度ばっかり」
「でもそんな親でもいなくなったときのことを考えると、ちょっと寂しいかな」

 いなくなったときのこと、か……。確かに両親が死んでしまうのは嫌だな。うるさくないときはいい親だもん。おれが病気になったときだってすごく心配してくれたし。

「蜻蛉も、やっぱり寂しかったのかな」
「どうだろうね」

 木村さんは何か思い浮かべるように虚空を見つめる。

「両親が亡くなったとき、あまり悲しそうじゃなかった。私や他の人と話すのも亡くなる前と何ら変わりない態度だったわ。内心寂しかったのかもしれないけどね。でもどうだろう。親とあまり仲良くなさそうだったから」
「ふ〜ん……」
「でも気持ちを覆い隠しているようには見えないな。たぶんもう気分を入れ替えたんだと思うよ」
「そういえば蜻蛉ってどんな仕事してるんだろう。知ってる?」

 さり気なく訊いてみると、木村さんは何故かパソコンのほうに視線を転じた。

「“フェライトツールズ”っていう、ホームページのスペースをレンタルしている会社で働いてるのよ。ちなみに私も冬休み中バイトしてるんだ〜♪ ホームページのテンプレートを作ったり、ネットの広告を作ったりするの。蜻蛉の一ヶ月の給料は、なんと二十四万!」
「に、二十四万!? すごいねぇ!」

 そんなにお金あったら一人暮らしには十分だろうね。

「蜻蛉って本当にすごいね」
「そうね〜。まあ昔からしっかりしてたから」

 ってことは、木村さんは昔から蜻蛉のこと知ってるんだ。

「あの、木村さんと蜻蛉って――」
「『どういう関係なの?』ってか?」

 おれが訊こうとしたことが何であるか、木村さんはすぐに察したらしい。

「恋人、って言ったらどうする?」
「ムカつく」
「へぇ、ムカつくんだ〜。どうして?」
「え? あ、いや、その……あれ? おれムカつくなんて言ったっけ?」

 おいおいおい。ムカつくなんて言ったら怪しまれるだろう、と自分を責める。

「なるほどね〜。さては君、蜻蛉のことが好きなの?」

 あっという間にバレてしまったけど、おれは必死に取り繕う。

「そ、そんなわけないじゃん!」
「いいのよ? 私にはホントのこと話してよ」
「勘違いだってば!」
「今更否定したって無理です。さあ、すべてを白状するのよ!」

 なんかミステリードラマとかで犯人が名探偵か誰かに真実を追究されているみたいだな。

「話せば楽になるよ」

 おれはついに木村さんの誘惑に負けて、自分がゲイであることと、蜻蛉に好意を寄せていることを打ち明けた。

「ゲイであることなんて恥ずかしがることないわ。少なくとも私はそういう人おかしいとか思わないよ。あ、ちなみに蜻蛉と私はただの友達だから安心してね」

 はあ、とおれは大仰に息を吐いた。

「でも告白できないんだね。うん、それが同性に恋することの辛いところなんだろうね。大切な何かが壊れてしまいそうで怖いんでしょ?」

 おれは頷く。なんか木村さんっておれのこと全部分かってるみたいだなあ。心の中が見えるのか?

「その想い、絶対伝えるべきよ」
「でも……」

 大丈夫、と木村さんはおれの肩を持った。

「崎芝くんが告白して、もし蜻蛉が君に気がなかったのだとしても、彼はそれで君を偏見したり避けたりするようなことはしないと思うわ。たぶん崎芝くんの気持ちを理解した上でまたいつもどおりに接してくれると思う。蜻蛉ってそういう人だから」
「うん……」
「元気出して。ついでに勇気も出して。蜻蛉の幼馴染の私が言ってるんだから大丈夫」
「そう、だね」

 木村さんの言葉でおれはなんだか告白する勇気が湧いてきた。
 そうだよな。蜻蛉がおれのことを好きでなかったとしても、この気持ちをきっと理解してくれると思う。それでまた新たな気持ちで付き合えばいいんだ。








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