02. 少しくらい悪戯しても赦されるんじゃないか? 「よ〜し、席に着け〜」 カラッと暑い夏の朝だった。 いつものように自分の持つクラスの教壇に立った俺は、欠席がいないか目で確認する。ついで――というか、こちらがすっかりメインになってしまっているが、窓際後ろから二番目の席に目をやると、席の主は無遠慮に欠伸を出しているところだった。 その男子生徒は“キョン”というニックネームで皆に親しまれていた。平凡な顔つきに短い髪、身体つきはどちらかというと華奢なほうだ……ってこれは以前にも言ったっけな? まあ、辰雄のインパクトが強すぎてキョンがどんな男だったか忘れている人もいるだろうから、あえて消さないでおこう。 惚れた相手が男で、しかも未成年で、更に自分の生徒という背徳的な障害がいっぱいの恋をしてしまった岡部浩二二十八歳独身だが、もちろんその恋に進展なんてない。というか、進展させるのは教師という立場上非常に拙いことになってしまう。 ただ、仲良くなりたいという気持ちは拭えなかった。だから二人になる機会があればいろいろと話をするし、進路や勉強の相談にも小まめに乗った。 ああ、少女漫画の主人公の気持ちがいまならわかるぜ。相手の声や一つの表情で炎のように舞い上がることもあれば、氷のように心が冷え切ってしまうこともある。人を好きになるということは嬉しいこと半分、苦しいこと半分、という誰かさんの言葉が身に沁みる。 この日の体育はサッカーだった。 体育の準備体操は二人一組でやらせているのだが、この日は欠席がいたために一人余りが出てしまう。その余った人間というのが、俺にとっては幸いなことにキョンだったのだ。 「一緒にやるか?」 これはキョンの身体を触れる絶好のチャンスだな。これ見よがしに声をかけると、キョンは苦笑を浮かべながらも素直に地面に腰を下ろした。 触れた肩は見た目どおり華奢だった。普段ハンド部のガタイのいいやつばかり触っているから余計に細く感じられる。 「お前身体硬いな〜」 長座体前屈の記録は知っているが、それはあくまで数値の上のことで、実際に背中を押してみるとあまりの動かなさにびっくりだった。 「面目ないです」 呻きの混じった声がそう言う。まったく、風呂上がったらオナニーばかりしてないで少しはストレッチくらいしろっての。 「先生はやっぱり肩がしっかりしてますね」 交代して今度はキョンが俺の背中を押す番だ。軽く肩を揉んだ手は、その少し下を遠慮がちに押してくる。 「いでででで!」 「って先生も身体硬いじゃないですか!」 キョンほどじゃないにしろ、俺も身体は硬いほうだったりする。筋トレは勇んでやってもストレッチは面倒なんだよ。 「面目ない」 さっきキョンが言ったのと同じ台詞を返すと、背中で小さく笑い声が上がる。 続いては背中合わせに腕を組み、相手の身体をそのまま背中で持ち上げるやつだ。さっそくキョンと背中を合わせてみると、何やら柔らかい感触が俺の尻に伝わってくる。何やら、と言わずともそれがキョンの尻以外の何物でもないことくらいわかるが、俺の筋肉質で硬い尻とは違って実に弾力があった。 ぜひとも手で揉みしだかせてほしい、などという欲望は胸の内に収めるとして、俺は自分の尻でしばらくその感触を堪能する。どうせ身体を重ねるならキョンの尻に俺の股間を押しつけたいな、などという妄想をしていると、俺のあそこが鎌首を持ち上げようとしている感覚がした。生徒を背負って勃起しているなんてばれたら大変なことになるので、とりあえず俺はその妄想を早々に振り払おうと首を振った。 本来なら次はキョンが俺を背負う番だが、体格的にそれは少しばかり危ない気がするので先に断りを入れておく。教師を背負わせて生徒が怪我なんてしたら笑い事じゃ済まなくなるからな。 準備運動を終え、サッカーの紅白戦を始めると俺はただの傍観者となってしまう。こういうときはやっぱりキョンばかり目で追ってしまうんじゃないかって? 残念だがそれはない。なぜならあいつは敵のゴール前からほとんど動かないから。最初こそ厳しい陽射しに顰めた顔を眺めていたが、動きのないものを見ていてもやっぱりつまらない。 「おい、キョンと谷口! 若いんだからしっかり動けよ!」 声をかけると、キョンは苦笑を浮かべて頷いた。しかし少しだけコートの中央に寄ったものの、すぐに立ち止まってボールを眺めてやがる。まあ、人には向き不向きというものがあるし、これ以上何か言う必要はないか。 俺もまたさっきのように、生徒たちの間を行き交うボールを目で追う作業に戻る。フェイントを入れながら隙のないドリブルをかましているのはサッカー部だな。やっぱ素人よりも遥かに上手い。 何度かボールの奪い合いが続いたあと、誰かが流れを変えるべくボールを大きく蹴り出した。結構なスピードがついたそれは中央の人が密集しているエリアを脱し、敵ゴール前へと躍り出る――はずだった。 障害物が一つだけあったのだ。ゴールの十メートル手前、谷口と談笑している物体が。 「キョン!」 名前を呼んだが遅かった。会話に意識をとられているキョンの頭に、剛速球が飛び込んだ。ドン、という鈍い音とともに、ひょろりとした身体が揺らいでそのまま地面にひれ伏す。 「キョン!!」 俺は無我夢中で走った。人形のように動かなくなってしまった身体を抱き起こすと、大きくもなく小さくもない瞳がすぐに開かれたので少し安堵した。 「大丈夫っすよ……」 「どこがだ」 一瞬とは言え、キョンは明らかに気を失っていた。そのどこに大丈夫と言える要素があるってんだ? 「とりあえず保健室行くぞ」 俺はキョンの身体を抱きかかえ、他の生徒たちには紅白戦を続けるよう指示して保健室に急ぐ。 「門脇先生、ベッド空いてますか?」 外の戸口を勢いよく開けっ放し、少し驚いた様子の養護担当の先生に訊ねた。 「空いてますけど……どうなさいました?」 「サッカーボールが思いっきり頭にぶつかりまして……」 「そうなんですか!? 冷やすもの用意するので、とりあえずそこのベッドに横にならせて下さい」 言われたとおりにキョンをベッドに寝かせると、薄い掛け布団を腹の辺りまで被せてやる。 「すいません、先生」 弱々しい声がぽつりと呟いた。 「いいんだよ。お前は俺の可愛い生徒だからな。少しくらい手がかかるほうがいい」 お前だったらいくらでも手を焼いていいんだぜ? むしろ下半身の面倒も見てやりたいくらいだ。なんていう台詞は心の中で呟くに留めておく。 「あとで一緒に病院行こうな。午後まで俺も授業はないし」 「いえ、そこまではさすがに……。自分の足で行きますよ」 「ぶっ倒れたやつが遠慮すんな。というか、それは俺が心配だ」 顔色もあまり優れないようだし、これじゃ道中何があるかわからない。俺が連れて行ったほうが互いに安心だ。 「それじゃ、お言葉に甘えて」 「おう」 さて、本当ならこのままキョンのそばにいてやりたいところだが、いまは授業中なわけで、グランドに生徒たちを放置している状態だ。一教師としてはやはり好きな子よりも生徒全体を選択しなければならんだろう。 「体育が終わったらまた来る。それまでゆっくりしとけ」 「はい」 そうして俺は泣く泣くキョンを門脇先生に預けるのだった。 体育が終わると、俺は女子の着替えが終わったのを確認して教室に入る。そしてキョンの鞄と谷口たちからやつの着替えを受け取り、再び保健室へと赴いた。 「キョンはどんなですか?」 開口一番にそう訊ねると、門脇先生は穏やかに微笑んだ。 「いまは眠ってます。コブもできてないみたいだし、たぶん大丈夫と思いますが」 「そうですか……」 病院でちゃんと診てもらうまで安心はできないが、外傷がないんだったらきっと中のほうも大丈夫だろう。 締め切ったベッドのカーテンを捲り中に入ると、門脇先生の言ったとおりキョンは静かな寝息を立てていた。その枕元に俺は腰掛け、短い髪を梳くようにして撫でてやる。 なんて可愛い寝顔をしてやがる。起きているときはだいたいだるそうな顔をしているのが、いまはまるで母親の腕の中で眠る子どものような安心しきった顔で眠っていた。 人差し指で突いた頬は柔らかい。そのままその指を無防備に開かれた口へと滑らせ、薄い唇のふにふにとした感触を味わう。 なんか王子さまのキスでも待っているかのような口だな。いっそこのままこっそりキスしてしまおうか? 王子さまというよりはおじさまに近いけどな……ほっとけ。 どうせキョンと合意の上で口付けを交わす日なんて来はしない。それなら叶わない恋を切り捨てる意味で、少しくらい悪戯しても赦されるんじゃないか? 「キョン」 この呼びかけでキョンが起きたらキスはなしだ。――やべぇ、反応がない。これはお天道様のキスコールが空の向こうに響き渡っているってことか? よし、やろう。いまやろう。すぐやろう。 顔を近づけるとキョンの吐息が吹きかかる。それだけで俺の下半身は熱を帯びてきて、いまにも暴れ出しそうだった。 「キョン、好きだぜ」 この台詞もきっといましか言う機会がないに違いない。聞こえるか聞こえないかわからないくらいの声で囁いて、俺は少しだけ開かれたキョンの口に自分の口を重ねた。 チュッ 一瞬のフレンチキッスだ。本当は舌をねじ込んで濃厚なそれを味わいたかったが、さすがに起こしてしまいそうだったのでグッと堪える。ってかいまの音、門脇先生に聞こえてねーよな? 続く…… |