07.  お前の目には、俺はいったいどんなふうに映ってるんだろうな


 昼間みっちり勉強したキョンに夜も勉強させるほど俺は鬼じゃない。一応進行具合を訊いてみたが、問題はないようだし、まだ明日一日があるので見直しなんかも明日でいいだろう。
 夜は二人でテレビを見たり、ゲームをしたりして時間をつぶし、日付が変わろうかという頃に寝室へ向かった。

「え? 一緒に寝るんですか?」

 先にベッドに入って手招きすると、キョンが驚いたように声を上げる。

「今更何言ってんだ? 昨日だって一緒に寝ただろうが」
「え!? 全然気づかなかったっす……」

 まあ、あれだけ最初から最後までぐっすり眠っていれば俺の侵入にも気づかないか。

「俺、ソファでいいですよ?」
「それは駄目だ。お前は一応客だし、ベッドもこんだけ広いんだ。遠慮することはない。それとも俺と一緒じゃ嫌か?」
「いえ、そういうわけじゃないですけど……」

 なおもごね続けるキョンの手を掴んで、俺は強引にベッドに引っ張り込む。そして自分の上に倒れこんできた華奢な身体を骨が折れそうなくらいに強く抱きしめた。

「俺がいいって言ってるんだから、大人しく一緒に寝ろよ」

 一方のキョンはいい加減俺のこういう過激なスキンシップにも慣れてきたのか、特に抵抗することもなく大人しく俺の腕の中に納まっている。

「……わかりました。一緒に寝ます」
「最初からそう言っていればいいんだよ」

 呆れたような溜息を耳にしつつ、薄いかけ布団を自分とキョンに被せる。そしてリモコンで電気を消したあと、暗闇とともに室内に舞い下りたのは、沈黙だ。
 解放してやったキョンの身体は俺に背を向け、静かな呼吸を繰り返している。それと同じように俺もやつとは反対側を向いて、眠気に侵食されるのを待った。
 こうして同じベッドに入っていると、自然と今朝の自分の、アホで変態的な行為を思い出してしまう。キョンが寝ているのをいいことに、柔らかなケツにいきり立った自分のモノを押しつけ、最終的に射精に至る。なんて馬鹿なことをしちまったんだ、という後悔の念は、それがいままでのどんなオナニーよりも快感だったことも相まって色濃いものになっていた。
 だがしかし、好きなやつと同じベッドに入り、相手が寝入っているとわかっていて何もしない男が果たしているだろうか? もしいたとしたらそれは聖人君子か、もしくは男を象った別の何かに違いない。

「お前の目には、俺はいったいどんなふうに映ってるんだろうな……」

 その台詞は無意識のうちに口を突いて出ていた。自分でも驚いてはっとなるも、不幸なことにキョンの耳はしっかりとそれを捉えていたようだ。

「先生は本当にいい先生ですよ」

 俺の心の慌てぶりとは正反対にキョンの声は至極落ち着いていた。

「少なくともこれまでに俺が出会ってきた教師の中では一番好きです」

 一番好き、という言葉に心が躍るのも一瞬のこと、それは台詞のとおり“教師の中”での話であって、決して一人の男として認められてはいない。それを改めて思い知らされ、熱くなっていた胸は急速に冷めていく。

「そういう先生の目には、俺はどんなふうに映ってるんですか?」

 会話はこれにて終了かと思っていたが、意外にもキョンの柔らかい声が訊き返してきた。

「……俺もいままで出会った生徒の中じゃ一番好きだぜ」
「こうして家に押しかける生徒でもですか?」
「昨日も言ったが、生徒ってのは手がかかるほど可愛いんだよ」

 そしてそれがお前となると尚更な。その台詞は胸の内に留めておく。

「でもよ〜、いくら可愛がったところで、お前らはやっぱり卒業すると担任のことなんか忘れちまうんだろうな」
「俺は忘れませんよ。他のどの先生のことを忘れても、岡部先生のことだけは忘れません。なんと言っても一緒に風呂まで入って、一緒のベッドで寝た先生ですから」

 穏やかな声にそう告げられ、俺は不覚にもうるってきてしまった。それがキョンの心に自分がずっと生き続けることへの嬉しさのせいなのか、それともこいつの心に生き続けながらも、俺の想いが通じることがない現実への寂しさのせいなのか、自分でもわからない。ただ、このとき俺は自分の感情に忠実な行動をとることにした。――俺に背中を向けているキョンを強く抱きしめる。

「そんなこと言っても何も出ねーぞ?」
「そんなもの期待してないですよ。というか、先生抱きつくの好きっすね」
「こんな強そうな腕と熱い胸板があるのに、飛び込んできてくれる恋人がいなくて寂しいんだよ」

 でもいまはお前が腕の中にいる。想いが通じなくても、そこにある温もりを感じることは俺にだってできるんだ。

「なあキョン、明日俺とデートしようぜ? つってもテスト前日だから飯食うしかできんが……」
「男同士なのにデートってなんっすか……。まあ、気分転換にはいいかもしれませんね。テスト勉強も昨日かなりやったんで、明日はさほど頑張らなくても大丈夫そうですし、いいですよ」
「そうと決まればとっとと寝るぞ」
「はい。おやすみなさい」

 今度こそ会話は終了し、明日の計画を考えながら眠気が来るのを待つ。そして意識を手放すその瞬間まで、俺はキョンの身体を離さなかった。



 日曜日の繁華街は、夏の陽射しが容赦なく照りつけるのもかかわらず人でごった返していた。
 暑い、暑いと呻きながらキョンと二人で向かったのは、それなりに雰囲気のある少し洒落たイタリアンレストランだ。

「てっきりラーメン屋とかお好み焼き屋にでも連れて行かれるのかと思ってました。イタリアンって先生のイメージと違ってますし」

 それは俺も自覚しているところだ。けどこんな俺でも無性にイタリアンを食いたくなることだってあるし、チーズのたっぷり載ったピザなんて大好きだぜ。

「ここのブルーチーズとハチミツのピザがめがっさ美味いんだ」

 知人と初めてここに来て以来、俺はすっかりそのブルーチーズとハチミツのピザ――正式名は天然ハチミツとゴルゴンゾーラのピザ――の虜となってしまい、いまや最低でも月に二度は足を運ぶ常連と化している。

「女とカップルが多いですね」

 席に着いて周りをキョロキョロと見回したキョンが居心地悪そうに口にした。

「確かにな〜。まあ、そんなに気にするなよ。俺らだってカップルみたいなもんなんだから」
「そんな要素これっぽっちもないですよ」

 いや、そこは冗談でも肯定しておいてくれよ。そんなに真っ向から否定されたらさすがの先生も悲しいぞ?
 無論、そんな俺の気持ちなどキョンが知る由もなく、メニューをじっと眺めている。

「俺の奢りだから遠慮なんかするなよ」
「ごちになります」

 素直に奢られる気になったのは、おそらくメニューに載っている値段を受けてのことだろう。一介の高校生が支払うには少しばかりお高い数字だからな。

「美味かったっすね」
「だろう」

 結局二人ともピザしか食べなかったのだが、量はそれだけで事足りた。大きさも結構なものだし、チーズとともにたっぷりとかかったハチミツの甘みが腹を満たしてくれる。

「あんなに美味いピザを食べたのは生まれて初めてかもしれません」
「大袈裟だな〜」

 ピザを頬張っていたときのキョンの顔は終始幸せそうだった。あんな顔をしてくれるなら奢る価値が大いにあるし、ピザの一枚や二枚安いもんだ。

「――あれ、岡部先生?」

 聞き覚えのある声がかかったのは、いましも駐車場に着こうとしていたときだった。
 買い物袋を提げた谷口――俺の持つクラスの生徒が、何か不吉なものでも見てしまったかのような顔で俺を見上げていた。その傍らでは愛想笑いを浮かべた国木田が、谷口とは対照的な冷静さで軽く会釈してきた。

「……と、キョン!?」

 そして谷口の顔は、俺のわずかに後ろを歩いていた人物を認識するなり、今度は驚愕に歪む。

「珍しい組み合わせですね。二人で来たんですか?」

 言葉を探しあぐねている谷口を尻目に国木田が訊ねてくる。

「さっきそこで出会ってな。ついでと思って買い物に付き合ってもらってたんだ」

 一緒に来たとはさすがに言えない。教師と生徒が、しかもテスト前に密会していると知られたらろくな噂が立たないだろうからな。明日のテストでキョンがいい点でもとれば尚更だ。

「お前らは買い物か?」
「はい。テスト勉強の気晴らしです。と言っても勉強しているのは僕のほうばかりですけど」
「そっか。おい、谷口。お前も国木田を見習ってしっかり勉強しろよ」
「先生、俺もそうだけど、そりゃキョンにも言わねーといけないんじゃないっすか?」
「キョンは昨日結構頑張ったらしいぞ?」

 マジでか、と何か裏切られたような顔で見てきた谷口に対し、偉そうに腕を組んだキョンが少しおかしかった。

「じゃあ、暑いので僕たちはこれで失礼します。また明日学校でね、キョン」
「ああ」
「じゃあな」

 二人が去っていくのを眺めながら、ふと俺はこんな疑問を抱いていた。なぜキョンがあの二人に誘われなかったんだ?
 国木田、谷口と言えばいつもキョンを入れた三人で馴れ合っている。よく三人で談笑しているのを見かけるし、昼飯も三人で机をくっつけて食っているようだった。
 それなのになぜ今日は二人だけで街をぶらつき、しかも偶然出会ったキョンを誘おうとしなかったのか? もちろんメールで誘われたキョンが事前に断っていた可能性もあるが、それならなんでお前ここにいんの、みたいな会話があったはずだ。
 だとすればあれか? あいつらもテート中だったってことか? それならすべての辻褄が合う。アホな谷口には面倒見がよくて頭もいい国木田がベストかもな。国木田も国木田で手を焼くのは決して嫌じゃないみたいだし、お似合いだと認めざるを得ない。
 しかし、そうするとさっきみたいにキョンが一人にされちまうな。でも大丈夫、お前にはこの俺がいるから。
 ……などと馬鹿げた妄想を脳内で繰り広げつつ、俺たちは車に乗り込んだ。



「お世話になりました」

 そう言ったキョンの頭を俺はくしゃくしゃと撫でてやった。
 燦々と輝く太陽はまだずいぶんと高いところにある。それでもデートを切り上げたのは明日が期末試験だからだ。もっと一緒にいたいという気持ちは大いにあるが、教師が生徒の足を引っ張るわけにはいかない。

「勉強頑張れよ」
「はい。ほどほどに頑張ります」

 あっという間の二日間だった。こんなにも誰かと一緒の時間を過ごしたのは本当に久しぶりのことで、一緒に寝たり風呂に入ったり、やっていることはまるで恋人のようだと改めて思う。
 もっと先に進みたいけれど、これ以上はもうどうすることもできない。そんなもどかしさを噛み締めつつ、俺は後ろ髪を引かれる思いで車に戻る。

「また行ってもいいですか?」

 そんなキョンの台詞が、少し寂しさに沈みつつあった俺を引き止めた。

「また先生の家に行ってもいいですか?」
「ああ、いつでも来いよ」

 振り返った先にあったのは、どこか子どもめいた笑顔だ。それに自然と笑い返し、今度こそ車に乗り込む。そしてお互いの姿が見えなくなるまで、キョンは玄関先で俺を見送ってくれていた。



続く……




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