01.


「誓いのキスを」

 親友が花嫁のベールを捲り、二人の唇がゆっくりと重なり合う。
 周りの人間が温かい拍手を奏でる中、俺もそれに倣って拍手をしながらも、ひっそりと唇を噛みしめていた。

 ――あの薄い唇も、恥ずかしそうにはにかんだ顔も、全部全部俺のものにしたかった。

 俺はずっとキョンの特別になりたかった。あいつにとって俺は、親友というある意味特別な存在だったのかもしれねえし、俺にとってもそうだった。けど、そういうんじゃなくてよ……手を繋いだりだとか、キスしたりだとか、そういうラブな関係になりたかったんだ。
 いっそ壊れちまえばいいのに、とキョンたちの幸せそうな顔を見ながら思う。そしたら傷ついたキョンを俺が慰めて、そのまま身体も慰めてやって……とありえねえ展開を妄想しながら、俺はこの祝うべき場から早く解放されてえと心の中で呟いた。



 初めてキョンの口から結婚の旨を聞いたのは、式から半年前のことだった。

 高校を卒業してからも結構頻繁に遊んでいた俺たちは、その日もいつものように他愛もねえ世間話をしながら酒を飲むつもりでいた。だが、向かった先の居酒屋にはキョンの他に同い年くらいの見知らぬ女がいて、俺はまさかと息を飲む。

「一応紹介しておく。俺の彼女だ」

 その一言が胸にぐさりと刺さる。息が止まってしまうんじゃねえかって錯覚に陥りながらも、なんとか平静を装って言葉を返す。

「へ、へえ。可愛い子じゃん! つーか、いつの間に彼女なんかできたんだよ? 俺は何も聞いてねえぞ」
「まあ、言ってないしな。実はもう二年以上も付き合ってる」

 二年以上……俺はそんなにも長い間、キョンに彼女ができたことを知らなかったのか!? 
 彼女ができたこともそうだし、彼女ができたことを知らせてくれなかったことがひどくショックだった。俺ら、なんでも話せる親友じゃなかったのかよ? 

「で、ここからが本題なんだが」

 大事な話をするとき、キョンは決まって難しい顔をする。いまもその顔になったんだが、どこかその中には恥ずかしさが混じっているようにも見えた。

「大学を卒業したら、彼女と結婚しようと思う」

 刺さったもので胸をぐりぐりと抉られ、ついに心に刃が届いてしまう。切っ先が触れた瞬間、心の表面にヒビが入り、瞬く間に全体へと広がっていく。そしてガラスが割れるような音を立てながら、ばらばらと砕けていった。

「式の予定も一応決めてあるんだ。招待状送るから、絶対に来てくれよ」
「あ、あったりめえだろ! 親友の俺が参加しないわけねえっつーの!」

 自分の本心も、湧き上る負の感情も、全部押し殺して調子のいい台詞を返す。

「しっかし羨ましいぜ。こんな可愛い子を彼女にするだけじゃなく、嫁にできるなんて。代わってほしいくらいだぜ」

 全部嘘だ。いまの俺は嘘と無理で塗り固められている。
 羨ましくなんてねえよ。いや、羨ましいのはむしろ女のほうだ。代わってほしいのも女のほうで、そしたら俺はすんげえ幸せになれるのに。
 それから先は何を話したのかちっとも覚えてねえ。まあ、最後には互いに笑顔で解散してたから上手くやりすごすことができたんだろう。
 夜の街の喧騒を離れ、河原を一人とぼとぼと歩く。

 ――キョンが結婚しちまうっ。

 いつかはやって来る現実だと覚悟はしていたが、まさかこんなに早くに訪れるとは思ってもみなかった。
 胸が必要以上に速いペースで脈打っている。足は震えていまにも歩くのをやめちまいそうだ。
 キョンが人のものになっちまう。キョンがどんどん遠くに行っちまう。別々の大学に通い始めて毎日顔を合わせるようなことがなくなり、少しばかり感じていた寂しさがさっきのことで一気に心に広がった。

「キョンっ……」

 悔しい。悲しい。辛い。そんな感情の数々が涙になって、目からボロボロと溢れ出す。
 なんで俺じゃねえんだ。あんな女、可愛いだけでいつかはキョンを裏切るに違いねえ。俺だったらキョンを絶対裏切らねえし、幸せにしてあげられるぜ?
 知ってたか、キョン。俺、一人暮らしするようになってからかなり料理上手くなったんだぜ? だから俺と一緒になれば毎日美味い飯が食えるし、皿洗いとかも全部俺はやってやる。
 掃除はちょっと苦手だな。その辺はお前に任せっから……
 そんな幸せな妄想も、涙と一緒に流れていく。映画のワンシーンのように頭の中をよぎる俺たち二人の姿は、いつしか真っ暗な画面に切り替わり、何も映らなくなった。

「キョンの……馬鹿野郎っ」

 このどうしようもねえくらい好きって気持ちは、このどうしようもねえくらい悔しい気持ちはいったいどうすればいい? どうすれば俺は楽になれるんだ?
 そうだ、時間だ。きっと時間が解決してくれる。流れていく時間に希釈されて、いつかはなくなるはずだ。



 だが――時間は何も解決してくれなかった。この半年の間、俺の中にあったキョンへの思いは形も大きさも変わらねえまま、心の中にあり続けている。だからキョンたちが幸せそうにしているのを見るのはすげえ辛かったし、途中で式を抜けちまいそうだったが、そこはちゃんと親友を演じるためになんとか堪えた。
 でもさすがに二次会に出る気力はなくて、俺はフラフラと夜の飲み屋街を彷徨っていた。

 適当に選んだ店にはあまり客はいなかった。ちょうどいいやと奥の空席に向かおうとしたとき、通りかかろうとした席に見覚えのある顔を見つけちまった。いまはあんま知人に――しかもさっきの結婚式に参加していた人間とは接触したくなかった俺は、やっぱり引き返そうかと思ったがもう遅い。そいつがタイミング悪くこちらを振り返り、目と目がばっちりと合っちまう。だから俺は諦めてそいつの――涼宮ハルヒの隣に座ることにした。









inserted by FC2 system