02.


「あんた、二次会行かなかったの?」

 一人で結構飲んだのだろうか、涼宮の顔はずいぶんと赤くなっている。

「まあな。そういうおまえこそ、こんなところで一人で何してんだよ?」
「……別に。なんだっていいでしょ」

 ぷい、とそっぽを向いた横顔が可愛いと、一瞬だけ見惚れちまう。
 涼宮ハルヒ――中学・高校の六年間を同じクラスで過ごした、腐れ縁とも言える女だ。さすがに大学までは被らなかったから、こうして顔を合わせるのは約四年ぶりのことになる。
 なんつーか、美人になったな〜。いや、元々美人だとは思っていたが、大人になってますます磨きがかかったような気がする。品よく薄い唇とか、高校時代にはあんま感じなかった色気を放っている。たぶんいまでもこいつは男にモテまくりなんだろうな。本人はそれを望んでねえかもしれねえけど。
 俺はずっと、キョンが結婚するようなことがあれば、相手はきっと涼宮だろうと思っていた。
 退屈が嫌いな涼宮と平和が大好きなキョン。性格は真逆だが、それでも高校時代は夫婦かってくらい仲がよく、上手くバランスのとれたコンビだった。
 いっそ結婚相手が本当に涼宮だったら、俺のこのもやもやとした気持ちも軽くて済んだかもしれねえ。俺じゃ涼宮には何一つ及ばねえし、悔しいけどお似合いだ。

「まさかヤケ酒してんじゃねえだろうな?」
「……うっさい。わかってるなら放っておきなさいよ、アホ」

 どうやら図星だったらしい。
 こいつが高校時代、キョンに対して恋愛感情を抱いていたのはなんとなくわかっていた。鈍感なキョンは最後までその気持ちに気づかず、結局二人は別々の大学に進んじまったけどな。
 いまの涼宮は俺と似たような心境なのかもしれねえ。やり場のねえ気持ちにもやもやしていて、とりあえず酒でそれを誤魔化そうと思ってここに来た、とか。

「もう結婚しちまったもんはしょうがねえだろ。そんな気持ちなんてさっさと自分から切り離して、次に進むことを考えようぜ?」

 自分はちっとも前向きになれてねえくせに、よくもそんな台詞が言えたもんだと心の中で自嘲する。

「あんたに何がわかるって言うのよ」

 涼宮がぼそりと呟いた。

「わかるさ」

 俺もまたぼそりと、涼宮の呟きに答える。

「あんたまさか、キョンの相手の女に惚れてたとか?」
「ちげーよ」

 核心に迫る一言だったが、あと一歩及ばなかったな。

「俺だって、キョンのこと好きだったんだ」

 涼宮に言おうか言わないか迷った結果、俺は自分の本心を打ち明けることにした。どうせこいつと顔を合わせることなんてほとんどねえだろうし、いまは同じ土俵に立って話をしたかったんだ。
 すると涼宮はまるで毒でも飲まされたような顔をして、息を詰まらせる。しばらくその表情のまま硬直し、やがて口から出たのは次の一言だ。

「……冗談よね?」

 いや、まあそう言いたくなる気持ちもわからなくねえけどよ。

「俺が冗談でこんな気色の悪いことを言うと思うか?」
「思わないけど、あんたがキョンをそういう意味で好きなんて信じられないわ」
「本当なんだから仕方ねえだろ」

 まだ信じられねえって言いたげの涼宮は、自分のグラスに口をつける。俺もそれに倣って頼んだ酒を一口飲み、盛大に息を吐いた。

「俺たち負け犬同士だな」
「せめて敗者って言いなさいよ。まあ、それでも納得できないけど」
「でも、認めねえといけないところだろ? もう結婚までしちまったんだし、俺たちにはもうどうしようもねえ」

 けど、と眉間に皺を寄せて反論しようとした涼宮だが、すぐに勢いを引っ込めて溜息をついた。

「悔しいけど、あんたの言うとおりだわ。敗者は敗者らしく、大人しく引き下がるべきよね。でも、そう簡単に気持ちを切り替えられるほど私は強くないの。だからすぐに負けを認められるあんたが羨ましい」
「いやいや、俺だって正直すっげえ悔しいし、いますげえもやもやしてんだぜ? 簡単にポイって捨てられるほど軽い気持ちでもなかったし、これから何年も引きずって生きていかなきゃなんねえだろうなって絶望してるところだ」
「そう。あんたと私、いま同じような心境なのね」

 単純に元気のない涼宮ってのはなんだか可愛げがあるなと、少し寂しげな横顔を見ながら思う。だからって今更惚れたりしねえけどな。

「失恋の痛みって、どれくらいしたら癒えるのかしら?」
「さあな。場合によっちゃ何十年もかかるのかもしれねえし、そうかと思えばたったの数日で綺麗さっぱり忘れることもあるだろうよ」
「私、いままで本気で人を好きになったことなかったから、失恋もこれが初めてなの。あんたは?」
「付き合い始めて五分でフラれたことならあるぜ?」

 中学時代の懐かしい思い出を心の奥底から引っ張り出し、口に出してみる。あんときは確か“普通の人間の相手をしている暇はないの”なんて言われて別れたんだっけな〜。ちなみにその偏屈な相手はいま目の前にいやがる。

「それって私のことじゃない」

 涼宮がしかめっ面でそう言った。

「覚えてたのかよ!?」
「自分に告白してきた相手の顔くらい覚えてるわよ! ――今更謝ったりしないからね」
「別に謝ってほしくて言ったわけじゃねえよ。ただちょっと思い出しただけだ」

 あんときはほんの軽い気持ちで告白したから、フラれたって何一つ傷つきはしなかった。さすがにたったの五分しか恋人でいられなかったことは恥ずかしくて他言できねえけど、いまとなっては本当にいい思い出だ。それを涼宮が覚えてたっつーのは意外だったけどな。

「ここまでマジな恋は初めてだな。だから俺も失恋は初めてってことになる」

 だからどうすれば傷が癒えるのか、どうすれば気持ちを切り替えられるかなんてさっぱりわからねえ。とりあえず酒を飲んで忘れようとここに来たわけだが……たぶん涼宮のほうもここにいる理由はまったく同じなのだろう。
 それからしばらく俺たちの間に会話はなかった。だからって気まずさを覚えることはなく、互いに考え事をしているような状態だった。そんな中、涼宮が独り言みてえな声でぽつりと呟く。

「私ってそんなに魅力なかったかしら?」

 いつも何事にも自信過剰でいた涼宮の、自信なさげな言葉。失恋っつーのはこうも人を変えちまうのかと驚いた。いや、大人になったってだけか?

「おまえは十分すぎるくらい魅力的だと思うぜ」

 その台詞に嘘偽りはまったくねえ。

「……谷口に言われるとなんだか微妙ね」
「素直に喜べって!」

 はいはい、と涼宮は俺の言ったことをまるで信じてねえように手を払うふりをした。

「じゃあ、私に足りなかったものって何? どうしてキョンは私を選んでくれなかったの?」
「そんなもん、おまえが素直じゃなかったからに決まってんだろ」

 もしも涼宮が素直に自分の気持ちを告白していたら、キョンはそれを受け入れていた気がする。振り回されっぱなしで苦労はしていたが、やれやれと溜息をつきながらも、いつも涼宮のことを気にしているところがあったからな。きっとキョンの中にも涼宮に対してそれなりの想いはあったと思う。
 それをそのまま口にすると、涼宮は口を尖らせた。

「あんたそれ、高校のときにちゃんと私に教えなさいよ!」
「なんで俺がおまえに教えなきゃならねえんだよ! 俺だって当時からあいつのこと好きだったんだから、おまえは言わば敵だよ」
「あ、そっか」

 おいおい、俺の気持ちを忘れてんじゃねえよ。

「でも、私は女だからまだ少なからず希望はあったけど、あんたは男でしょ? キョンって生粋の女の子好きだったから、辛かったんじゃない?」
「そりゃ、辛かったさ。顔を見れば心が躍るし、会話をすりゃ嬉しくなるのを止められねえし。自分の気持ちが実らねえってわかってるのに、結局それを捨て切れずにここまで来ちまったけどな」

 だからこれからもきっと、その想いを抱えて生きていくことになるんだろう。そう思うと人生嫌になってくるな。

「俺もおまえみてえに、キョンを引っ張り回してもっと一緒に遊んでおけばよかったぜ。そしたら満足して気持ちを切り替えられていたかもしれねえ」

 ずっと一緒にいられて、いろんなイベントをキョンと楽しんでいた涼宮が羨ましかった。あのポジションに成り代わりたいと何度思ったことだろう。

「馬鹿ね。いつも一緒にいた分、離れたときにとてつもなく辛くなるのよ」

 哀愁漂う笑みは、いままで本当に辛かったんだと訴えている。

「はあ、もうキョンの話はおしまいにしましょう。なんか悲しいとかってのを通り越してムカついてきたわ。ってことで谷口、なんかおもしろい話をしなさい」
「いきなりだな、おい」

 それから俺たちは互いに近況を報告し合ったり、他愛もねえ世間話をした。六年間同じクラスで過ごした過去があるにもかかわらず、涼宮とまともに会話するのはこれが初めてだった。
 最初は落ち込んだ様子だった涼宮も会話の中で徐々に明るさを取り戻し、帰る頃には高校時代みてえに元気ハツラツとしていた。もちろん、酒の力もあるんだろうけどな。

「お互い新しい恋を見つけたら報告しましょう。先に見つけられなかったほうは、見つけたほうにお酒を奢ること。いいわね!」

 とか言いながら俺のケータイを引っ手繰り、勝手に赤外線通信でメアドと番号を交換された。最後に“じゃあね”と笑顔で手を振り、涼宮は居酒屋を出て行った。
 再び一人の時間が訪れる。涼宮との会話に夢中でさっきまで忘れていた失恋の痛みが、呼んでもねえのに胸の奥から湧き出てきた。だからそれを酒で薄めてやろうと、グラスの半分まで残っていたのを一気に飲み干し、次を注文する。
 案の定、帰る頃にはフラフラになっちまって、店先の夜道に座り込んだ。
 土曜日の夜とあって、飲み屋街は結構な人で溢れ返っている。しかし、通りかかる人間は誰も俺を見ようとはしない。辺りには賑やかな空気が漂っているはずなのに、そこから切り離されて俺だけひどく孤独になったように感じる。

「――おい、谷口」

 心の中で負の感情の連鎖が起ころうとしていた中、誰かが目の前に立ち止まったかと思うと、俺の名前を呼ぶ声がした。
 顔を上げると、短髪でハンサムな男が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。

「俺がわかるか?」

 聞き覚えのある声だ。その男臭い顔も今日の結婚式の会場で見た記憶がある。

「岡部……先生?」

 そして俺は、高校時代の担任だった教師の名前を口にした。

「よかった。俺のことはわかるみたいだな。動けなくなるまで飲んでたのか?」

 おずおずと頷けば、岡部は呆れたように苦笑する。

「背中に乗れ。どうせ一人じゃ帰れないだろう? いまからホテルとるから、そこまで運んでやる」

 伸ばした手が岡部の広い背中に触れた瞬間、一人だけの寂しい世界から現実へと引き戻された。サラッとしたスーツの手触りも、その下の逞しいであろう身体の感触も鮮明に伝わってくる。
 倒れ込むようにして身体を預けると、なんだかすげえ温かかった。その温もりに安堵を覚えた俺はあっという間に眠りの世界へ落ちちまうのだった。









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