02. 遭遇-2


 一人暮らし、と野木が言うから、隆広はてっきりごじんまりとしたアパートに案内されるのかと思っていたが、電車で一駅ほど行った先に待ち構えていたのは二階建ての立派な一軒家だった。

「でけーな」

 うん、と野木は頷く。

「亡くなった両親が二人でお金出し合って買ったらしいよ」
「亡くなった、て……。病気か何かか?」
「いや、二人とも事故に遭ってしまったんだ。俺はあんまりに幼かったから覚えてないけど」

 困ったような顔をする野木の目に、悲しそうな色は灯っていない。本人の中で両親の死はそこまで大きな出来事ではなかったらしい。と、言うよりも、物心つく以前の出来事だからきっとそれは“そうなってしまった”という既成事実として受け入れざるを得なかっただろう。
 そんな亡き両親が購入したという家には防音の仕様がなされているらしい。しかも収録スタジオやそれに関連した機材がそろっていると言われれば、感心するのを通り越して呆然とするしかない。

「実は父さんが音楽やっててさ、それでそういう家になってる」

 彼の父親も、いまの彼のようにピアノ弾き語りを基本スタイルとして活動していたという。広いスタジオのど真ん中にぽんと置かれたグランドピアノは、父から受け継いでいまは野木が常用していた。

「すげーな……」

 かなり本格的な設備に声を上げると、野木は笑った。

「趣味もここまで来ると驚くしかないよね。おかげで充実した音楽ライフを送れてるけど」

 恥ずかしながら隆広は収録スタジオというところに足を踏み入れたことがない。だから資料の中でしか見たことのない機材に夢中になる。少々古いようではあるが、素人が使うには十分事足りるだろう。
 ピアノの他にはギターやベース、バイオリンにドラムと、一つの曲を彩る楽器の数々が一通りそろっていた。

「もしかして全部できたりする?」
「ドラムができないな〜。あとはまあ、そこそこ」

 実際に自分で楽器を演奏できたほうが編曲のときにイメージしやすいのだと野木は言う。だから叩くことのできないドラムの編曲は毎度難儀するらしい。

「一応エレクトーンで音をつくって楽譜にするんだけど、なんか物足りない感じって言われてドラムの人にまた編曲してもらってる。だから桜坂さんも結構大変かも」
「頑張る」

 ドラムの編曲なら隆広も何度か経験があった。ただ、どれもアップテンポな曲ばかりで、野木の主力であるバラードでは力になれるかわからない。

(まあ、とりあえずはベースどおりやればいいと思うが)

 どの程度をドラムに任せるのかは予測もつかないが、とりあえずはそれに慣れていくしかないだろう。
 隆広がスタジオ内をうろうろしていると探索していると、野木がピアノを弾き始める。自身が作曲した曲のインストゥルメンタルバージョンらしい。アルバムで聴いたその切ないバラードは、他の楽器がいない分CD音源よりも一層切なく感じられた。

「歌ってほしい曲があるんだけど」

 そう言うと、大きな黒目がこちらを見上げる。

「“Fighter”?」
「当たり」

 一番好きな曲はやはり目の前で聴いてみたい。その気持ちを察したのか、野木はカフェで隆広が絶賛した曲の名を口にした。

「了解。ストリングスがいないからちょっと寂しい感じになるけど」

 軽く咳払いをした後、聴き慣れたピアノのイントロが流れ始める。
“Fighter”はイントロから隆広の心を掴んだ。あたかも悲劇を物語るかのような悲しい響きを持ったピアノの旋律。そしてそれを同じような野木の声。決してネガティヴな内容ではないが、その二つが合わさった“Fighter”は物事に無感動と言われる隆広でさえ涙を流してしまいそうだった。
 生で聴く野木の歌声は、マイクがなくても十分張りが窺える。また、強弱のつけ方が絶妙で、感情のすべてが歌に向けられているようだった。
 やはり上手い、とまざまざと思わされる。素人として納まっているのが不思議なくらいだ。

「――ふぅ」

 ピアノの一音で締めくくられ、野木が息をつく。すかさず拍手を送ると照れるように笑った。

「やっぱいい曲だな」
「一番思い入れがある曲だからね。歌い方も自然と丁寧になる。――桜坂さんって過去の恋愛を引きずったりする?」
「あんまし本気の恋ってしたことねーから。すぐに忘れる、かな」
「ふ〜ん。俺は結構引きずってしまうんだ。いつだって本気だから、離れると辛い。けどそんなの気にしていたらいつまでも前に進めない。“Fighter”はそんな自分への応援歌みたいな感じで作ったんだ。でも、歌にしてもやっぱり捨てきれないものもある」

 そう言った野木の瞳には暗い色が灯っていた。どこか遠くを見るようにすがめられたそれに隆広はかける言葉が見つからず、二人の間にしばしの沈黙が舞い降りる。

「あ、ごめん。ちょっと黄昏してしまった。とりあえず飲む?」
「ああ」

 すぐに元の柔らかい表情に戻った野木に笑い返し、スタジオの端に置いておいた酒の袋を手に取る。ピアノを軽く掃除する野木に背中を向けたまま、

(こりゃ下手に恋愛のことなんぞ訊けねーな)

 そう心中で呟くのだった。



 酒に手をつける前にシャワーを浴び、お互いさっぱりとしてから乾杯する。そうして飲んだり食べたりしながらいろんなことを聞いた。音楽を始めたきっかけ、やっていた部活、所属しているバンドのこと。
 野木の所属するバンドは、ギター、ベースが各一人ずつに、収録では知り合いにヴァイオリンをお願いしているという。空いていたドラムの枠に隆広が入ることによって停止していた新アルバムの制作が再開できる、と野木は嬉しそうに言った。
 あとは音楽活動以外の趣味、仕事のこと、今後の音楽活動のことなどを話しているうちに夜は更けていった。
 チューハイもそれなりに飲めば結構酔うものである。酔うと威勢がよくなるよりも眠気が前に来てしまう隆広は、野木に引っ張ってもらってベッドにたどり着いた。

「隆広さん、一緒に寝てもいい? ベッドこれしかないから」
「いいけど、俺がいたら邪魔だろ? ソファでもよかったのに」
「大丈夫。これダブルベッドだから」

 そういう問題じゃねー、と突っ込みかけたときにはすでに布団に入ってきている。酒が回って熱っぽい身体が隆広の身体にぴったりとくっついた。

「隆広さん、温かい」

 さも気持ちよさそうに言った野木の額を指で弾いて、瞳を閉じたその顔をじっと見つめる。
 二十歳にしてはやはりどこかあどけない。睫毛まつげは長く、作り物のそれをつけているかのようだ。

(つーか、可愛いな)

 野木でなくこれが他の男であったら、間違いなくベッドから蹴り落としていただろう。男に甘えられるなど想像するだけでも鳥肌が立つ。
 決して野木を男として認識していないわけではない。むしろ彼はどこからどう見ても男だ。それでも隆広の許容範囲に入るくらいの可愛さが彼にはあった。

「友達と一緒に寝たりしない?」
「しねーな。むさ苦しいからこっちから願い下げだ」
「あ、じゃあ俺もあんまくっつかないほうがいい?」
「いや、あんたは別にいい。好きなだけくっついてろ」

 弟がいたらこんな感じだったかもしれない。隆広の腕にしがみついてくる野木を見て、ふとそんなことを思う。

「兄ちゃんが欲しかったな」

 どうやら野木も同じようなことを考えていたらしい。お互い一人っ子なだけに相通じるものがあるのだろうか、と笑う。

「前にドラムやってた人、俺の面倒をよく見てくれてたんだ。隆広さんより少し年上で、体型は同じくらいかな。よく家に遊びに来てくれたし、いろんなところに連れて行ってくれた。お兄ちゃんってあんな感じなのかな〜」

 少し寂しげな声色で囁かれた言葉に、隆広は胸が苦しくなる。そうして、野木に出会ってから一度も口に出さなかった“彼”の名を思い切って言ってみた。

甲斐かいさんのこと、残念だったな」

 甲斐栄一。一年半ほど前に交通事故で亡くなった、野木の元ドラム。兄のように慕っていたのなら、おそらく彼の死は野木に大きな衝撃を与えたことだろう。

「甲斐さんと大学同じだから、先生に聞いたんだ」
「そうだったんだ。――大好きだった。いつも優しくて、ドラムが上手くて、ずっと一緒にいたいと思ってた。将来一緒に暮らしたいとか、バンドで上を目指したいとか、いろんな話をした。でも、もうあの人はいない。二度と帰って来ない」

 腕にしがみついた身体が震えていた。ついで聴こえてきた嗚咽おえつに隆広は驚いて、スモールライトに照らされた野木の顔を確認する。
 閉じた瞳から大粒の涙が溢れていた。それは頬に綺麗な軌跡を描いて、隆広の腕を濡らす。
 隆広は堪らず彼の華奢な身体を抱きしめた。頭の後ろに回した手は、短い黒髪を梳くように優しく撫でる。

「ごめん……」
「気にすんな。好きなだけ泣け」

★続く★






inserted by FC2 system