03. バンドメンバー -2


 初めまして、と握手を求めてきた相手の頭を見て、隆広は意表を突かれた。と言うのも、野木、南、たかしと三人続けて黒髪だったので、てっきり残るヴァイオリン奏者の彼もそうなのかと思っていたら、思いの他明るい色をしていたからだ。
 目立つ金髪に耳にはピアス、整った顔立ちはさぞや女を惹きつけるだろう。そんなあまりにもヴァイオリンが似合わない風貌をした彼は、矢田圭介やだけいすけと名乗った。

「いや〜、まさかこんなカッコイイお兄さんが入るとはね〜」

 隆広の手を暑苦しくも両手で握ってきた矢田は、あたかも最初から見知った相手のように馴れ馴れしく話してくる。別に不愉快なわけではないが、矢田のような遊び慣れた雰囲気の人間を知り合いに持たない隆広は、その止まる気配のないマシンガントークに若干の疲れさえ感じた。

「圭介さん、一回合わせてみるから準備して」
「ああ、ごめん、ごめん。桜坂くんがあんまりにカッコイイからつい喰いついちゃった」

 野木の呼びかけに冗談を返した矢田は、開けっ放しにしていたケースからヴァイオリンを取り出し、おもむろに適当なメロディーを弾き始める。
 音の伸びがとても綺麗だ。安定したビブラートも聴いていて心地よい。本人の見た目の派手さとは裏腹に、感傷さえ覚える切ないメロディーは、いつぞやか耳にした進路担当の深谷の演奏よりも美しいと思った。

「あんた上手いな」

 本心を口に出すと、矢田はにんまりと笑む。

「それほどでも。桜坂くんのドラムはどうかにゃ?」
「まあまあ、かな。でもたぶん、甲斐かいさんには程遠い」
「意識してんのな。まあ、たしかにあの人は上手かったから無理もないか、でも、翼くんが引っ張ってきたってことは、きっと君にも光るものがあったんだと思うよ? だから自信持って」

 意外とおせっかい焼きなのか、矢田は隆広を励ますような言葉を並べて、最後にはまた暑苦しく手を握ってきた。



 とりあえず一曲のみを収録し、早いうちに解散となった後、隆広は自宅でのんびりとした時を過ごしていた。
 行き詰っていたドラムの編曲も、一度全員で合わせて演奏することにより、完全なものへ繋げることができた。自分でも割りと満足のいく出来栄えに少し自信を持てるようになったが、その基礎となるものは野木が作り出したということをもちろん忘れてはいない。
 帰り際に野木から受け取った、今後収録予定の曲の楽譜をバッグから取り出そうとしたとき、着信を知らせるメロディーが鳴り響いた。

「もしもし」
『ヤフー、桜坂くん。矢田くんだよ〜』

 知らない番号の発信者は、今日嫌と言うほど聞いた声の主だった。

『あ、もしかしてオナニーの真っ最中だった?』
「……切るぞ変態」
『冗談だよ。そんな怒んないで』

 受話器の向こうでケラケラと笑い声を上げる矢田に、思わず家まで行って殴りたくなる衝動に駆られながらも、冷静を装って用件を訊く。

『いや、特に用事はなかったんだけどね。桜坂くんの美低音ボイスが無性に聞きたくなったのさ』
「きもいこと言ってんじゃねーよ。俺はおまえみたいな暑苦しいやつお断りだ」
『ふ〜ん、そう。じゃあ翼くんならいいの?』
「……っ」

 否定の言葉を口にしようとした瞬間、なぜだかそれが喉に詰まって出てこなかった。自分でも理由がわからず困惑していると、矢田の愉快そうな笑い声が鼓膜を刺激する。

『そうか〜。翼くんみたいなのが好きなのか〜。たしかに彼って可愛いしね』
「おい、勘違いしてんじゃねーよ」
『でも、いまの間は核心突いちゃった感じだよね?』
「変なこと言うから呆れてただけだ」
『ふ〜ん、そうなの? オレはいいと思うけどな、翼くん。お付き合いしたいくらい』
「……本気で言ってんのか?」
『そうだけど? だって可愛いし、めちゃくちゃいい子じゃん』

 てっきり「冗談だよ」と笑い返してくるのかと思ったが、矢田は至極当たり前のように言った。そして何かを考えるように少し間を置くと、言葉を続ける。

『実はさ、オレ、男も女も両方いけるんだ。桜坂くんはそういうの平気?』

 突然の告白だった。そういう性癖のカミングアウトは、下手すれば一瞬で人生を狂わせてしまう。すべての人間がそう、というわけではないが、バイセクシャルやゲイセクシャルに対して偏見の目を向ける者は多い。そんなリスクを知らないわけではないだろう、しかし矢田は何でもないようにそれを隆広に吐き出した。

「そういうのは個人の自由だと思ってる」

 隆広自身、別に他人の性癖など興味はなかった。同じ人間であっても顔や性格は一人一人大きく違う。それが当たり前のことだというのに、性癖が違うというだけで偏見するというのは変な話だ。

「つーか、おまえの絡み方はなんかそれっぽかったわ。やたらベタベタしてくるし、野木に抱きついたりしてるし」
『よく言われるよ。でもやっぱ絡んでこそ仲良くなるものじゃん? スキンシップは身体からって教えがあるくらいだし』
「どこの誰の教えだ、それは」

 そんなことを言うくらいだから、これまでに男女問わず身体を繋げることが頻繁にあるのかもしれない。見た目の派手さも手伝ってその疑惑は一層深いものになってしまうが、矢田のプライベートなので突っ込みは入れないことにする。

『ちなみにオレ、桜坂くんすごくタイプなんだけど』
「はあ? 俺らが絡んだってむさ苦しいだけだろ」
『そんなことないさ。きっと上手くやっていけると思うんだ』
「そんな笑い混じりに言われたら誰もまともに相手しねーよ。っつーかいい加減切るぞ」
『ああ、ごめん、ごめん。桜坂くん可愛いから興奮して変なこと言っちゃうんだ。本当は君にお礼を言いたかったんだよ。――バンドに入ってくれてありがとう』

 阿呆みたいな話から一転して真面目な声で切り出され、隆広は一瞬戸惑った。

「……別に礼なんかいいって。むしろ入れてくれありがとうだ」

 野木はもちろん、南や崇も、そして矢田も素人バンドに納まっているのが不思議なくらい演奏技術が優れている。彼らに比べれば自分など本当に小さいものだ。そんな隆広を快く迎え入れてくれて、心の底から感謝している。

『いや〜、翼くん久々に楽しそうだったからさ〜。甲斐さんがいなくなってからずいぶんと落ち込んでいたから、元気になってよかったよ。桜坂くんのおかげだね』
「オレはなんもしてねーぞ」
『そんなことないさ。大好きな音楽の幅をまた広げられるんだし、何より桜坂くんと話すのが楽しそうだったから』
「そうなんか?」

 少なくとも隆広の目には、野木の自分に対する態度も他人に対するそれも変わらないように見えたが。

『オレは付き合い長いからさ、少しの変化もわかっちゃうんだよ。桜坂くんと話すときの表情は明らかに違う』
「う〜ん……まったくわからん。今度会ったときは注意深く観察してみよう」
『最初のうちはよくわからないかもね。まあ、ゆっくりわかり合っていくといいよ。桜坂くんだったら彼もみんなも上手くやっていけるさ。たぶん崇もね』

 ベースの崇はとは最初の挨拶以来、結局会話を交わしていない。目が合うことすらなかったし、こちらの存在を意識している気配もまったくなかった。こうなれば自分が彼に嫌われているのではないかと疑ってしまうのもおかしな話ではないだろう。

『オレも最初の頃は剣呑な目で見られたりしたよ。会話なんて未だに少ないし、結構扱いにくいってのが本音だね。悪い子ではないんだけど』

 社交性のある矢田ですら扱いに困る相手だ。そういうスキルのない隆広には手の施しようがないだろう。まあ、別にバンドをやっていく上で崇との会話が重要かというと、そうではないのだが、やはり仲良くしたいという気持ちは少なからずある。

『まあ、話しかければちゃんと答えてくれるし、嫌そうな顔をするわけでもないからいいけどね。元々の性格ばかりはどうしようもない』
「そうだよな」

 隆広だって人のことを「愛想が悪い」などと責められる性格をしていない。そして、その性格を変えろと言われてもそう簡単にはできないのだ。そもそも崇と出会ったのは今日が初めてである。打ち解けあうにはいささか時間が少ないだろう。

(まあ、あの短い時間ですっかり懐きやがったのもいるけどな)

 受話器の向こうの顔を思い浮かべ、思わず溜息が出そうになるのをぎりぎりのところで飲み込んだ。

『じゃあ、そろそろ切るね。時間取っちゃって悪かった』
「別に構わねーよ。用事もなかったし、暇になりそうだったから」
『そう。んじゃ、そのうちな』

 明るい声を最後に、矢田との電話はそこで終わった。
 矢田は隆広より一つ上で、野木バンドの中では最年長だ。元々世話好きなのもあってか、積極的に皆を取りまとめ、しっかりと引っ張っている。
 野木の才能も類稀なものだが、彼のマイペースな性格には矢田のような存在が不可欠だろう。二人の付き合いは長いらしいし、その間に築かれた信頼関係の大きさは傍目から見ても十分に伝わる。そんな様子に少しばかり嫉妬してしまう自分が恥ずかしいが、妬いてしまうものはもうどうしようもなかった。

(つーか、なんで嫉妬なんかしてんだよ?)


★続く★







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