03. バンドメンバー


 甲斐栄一を失ったことは、隆広が想像していた以上に野木の心に深い爪痕を残したらしい。あれからしばらく野木は隆広の腕の中で泣き続けた。そうして泣き疲れたのか、いまは静かな寝息を立てている。
 こんなにボロボロになっているのは、決して酒のせいだけではないだろう。そもそも野木はそんなに飲んでいない。これまでに溜まっていた悲しみの山を自身で支えきれなくなって崩れてしまったのだ。泣いたことでそのすべてを消化できたのならいいのだが。
 彼の華奢な身体をしっかりと抱きしめ、あれこれと考えている内に隆広も眠りに落ちるのだった。



「――昨日はごめん」

 翌朝、眠気眼をこすって野木が最初に放ったのはその一言だった。

「気にすんな。そういうこともあるって」

 泣きたいときには好きなだけ泣くといい、というのが隆広の考えである。生憎隆広には泣きたくなるような出来事がめぐってこないが、彼の気持ちはなんとなく理解できた。
 野木はやり場のない悲しみを発散したかったのだ。どうしようもない気持ちを誰かにぶつけたかったのだ。その日出会ったばかりの大して親しくもない相手にいきなりそんなことをされると普通は引くのかもしれない。だが、なぜだか野木に対してはそんな感情を抱くこともなく、むしろ彼の心に溜まったものを取り除いてやりたいとさえ思った。

(意外とおせっかいなんか、俺は)

 そんなことを心中で独りごちながらベッドから下りる。
 壁掛けの時計を見ると、時刻は午前十一時を回っていた。

「隆広さん、今日暇?」
「ああ。特に予定ないけど、どうかした?」
「バンドのメンバー紹介したいから」

 ピアノ弾き語りのインパクトが強すぎて忘れがちだが、野木は本来バンドの中の一人である。ドラムの枠はすでに隆広で決定しているらしく、メンバーに紹介するために家に呼ぶのだという。
 隆広にしても、野木バンドの顔ぶれは気になるところだった。何せ彼らの演奏は半端なく上手い。どんな人間があんな音色を奏でているのか拝見したい次第だ。



 朝食――時間的には昼食だが――を軽く済ませると、あたかもそのタイミングを見計らったかのようにインターフォンが鳴った。
 野木の返事で上がってきたのは、意外にも可憐な女の子だった。ストレートな黒髪を肩より少し伸ばし、大きな黒目の少し上辺りで前髪が切りそろえられている。野木と同様にどこかあどけない顔をしているが、体系は立派な大人だった。そんなことを思いながら胸の膨らみをじっと見ていたせいか、彼女は困ったように苦笑した。

「ギターの南飛鳥みなみあすかさん。こっちがドラムの桜坂さん」

 簡単に紹介が終わると、南はよろしくお願いします、と頭を下げる。

「こちらこそよろしくっす」

 野木が言うに、南はこう見えて隆広と同い年らしい。容姿と年齢のギャップによるカルチャーショックは野木で体験済みだったが、やはり少しは驚いたりもした。
 ギターケースを床に置いた南は隆広の正面の席に着く。近くで見ると余計に可愛い。おそらく言い寄ってくる男も少なくないのではないだろうか? 生憎と隆広は、そういう意味では南に興味などなかったが、動く度に揺れる胸につい目がいってしまうのは男の性というものだろう。
 一方の野木はそんなもの気にしたふうもなく、至極普通に南のことを隆広に話してくれる。ひょっとしてすでに見慣れてしまっているのだろうか?

「体格いいですね。スポーツは何かやってたんですか?」
「ああ、昔柔道やってた」

 南は静かそうな雰囲気とは違って、よく喋る。ただ、今時の若い女にありがちな、うざったさを前面に押し出すような喋り方ではなく、落ち着いた口調ではっきりと発音するから聞いていて不愉快にならない。おかげで初心者相手でよく詰まる話題作りに難儀しなくて助かった。
 本日二度目のインターフォンが鳴ったのは、南が野木との出会いを語り始めたときだった。野木が返事するよりも早く玄関のドアが開く音がし、ついでゆっくりとした足音が近づいてくる。
 入ってきたのは、少し垂れた目が印象的な男だった。すらっと伸びた背は隆広ほどではないものの、結構高い。髪は短く野木と南と同じく黒色をしている。

「ちわっす」

 ちらりとこちらを向いた視線とぶつかって、先に挨拶をしてきたのは向こうだった。

「ベースのたかし。俺の幼馴染だよ」

 そして南にしたのと同じように隆広を紹介し、野木は彼を席に座るよう促す。
 野木や南とは対照的に、崇とやらは口数が少なかった。表情の変化も乏しく、あたかも機嫌が悪いかのような雰囲気に質問もし辛い。彼に代わって野木と南が彼のことを話している間、隆は適当に相槌を打ったり、一言二言、言葉を発したりするに留まる。最も、寡黙さと愛想の悪さでは隆広も同じようなレベルに位置するので彼を責めることはできないが、興味を持たれていないような気がして少し寂しい。
 結局、崇とはこれと言った会話を交わすこともなく、四人はスタジオへ移動する。野木によると、あと一人バイオリンの演奏者が来るらしいが、いつになるやら予測もつかないという。
 入るなり南と崇はそれぞれ楽器を取り出すと、思い思いに弾き始めた。隆広もそれにならって拝借したドラムに着き、椅子の高さや音の確認を行う。

「はい、これ」

 そこに寄ってきたのはCDプレイヤーを持った野木だった。

「収録予定の曲。ピアノと俺の声しか入ってないけど。あとはこっちがドラムの楽譜。さっそくで申し訳ないけど、適当に練習しておいてほしい。別に急ぎじゃないから隆広さんのいいようにして」

 受け取った楽譜をさらっと読み上げる。どこか違和感のあるそれに首を傾げると、野木は苦笑した。

「その楽譜完全じゃないんだ。俺、ドラム叩けないからイメージが掴めなくて」

 そう言えばドラムの編曲には苦労していると昨日話していたな。ふとそれを思い出し、違和感の正体はあまりにシンプルすぎるからだと気づいて納得する。

「思うところがあったら隆広さんの好きに変えてくれて構わないから」

 野木たちが音合わせをしている間、その邪魔ならないように単体で練習するための小さな部屋に移って練習することにした。
 野木に渡された最初の課題は、先日彼がライブハウスで歌ったバラードだった。自分から離れようとしている相手を愛していながらも自由にする、という内容で、その恋に対する未練や悲痛な思いが歌詞から窺える。
 とりあえずは一通り叩けるようになろう。たとえドラム暦が長くても、やはり楽譜を見ただけではイメージが掴めない。編曲に関する突っ込みもそれからだ。
 元々飲み込みの早い隆広が楽譜どおりに叩けるようになるまでさほど時間はかからなかった。それから野木のボーカル音源に合わせてみて、気になるところは譜面にチェックをつけていく。
 前に出すぎず、だからと言って存在を消すわけではなく、メロディーの土台となって曲を支える。編曲の上で自然と意識したのは甲斐栄一のドラムだ。
 彼のドラムはアップテンポな曲でのパワフルなパフォーマンスより、バラードでの繊細な音使いのほうが印象に残った。シンバルにしてもスネアにしても、一音一音がまるで感情を持っているかのように切なく響いて、曲全体のイメージに大きく関わっている。
 そんな彼でもいまの隆広のように編曲に苦吟することがあったのだろうか? ふとそんなことを思っていると、無性にその音が聴きたくなって、バッグの中から野木のCDアルバムを取り出した。

(やっぱ違うな……)

 優しく柔らかい低音。時には何かを訴えかけるように激しく鳴り響く。

「――別に彼を意識する必要はないよ」

 ラジカセから流れるメロディーに紛れ込んだ声は、野木のものだった。振り返ると出入り口のところで苦笑を浮かべている。

「たしかに栄一はすごいのかもしれない。だからと言って彼の音を真似る必要はないよ」
「いや、バラードの編曲ってよくわかんねーから参考にしてたんだ」

 そっか、と野木は何かを考えるように天井を見上げる。

「なんだったら一回合わせてみる? そのほうがイメージ湧くかもしれない」
「ああ、頼む」

 ギターやベースがどのようなメロディーラインになっているのかも気になるところだった。彼らの編曲によってもこちらの考えは変わる。

「それにヴァイオリンの人来たから、紹介しときたいし」


★続く★







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