05. 助言


 いつものコーヒーショップでお決まりのメニューを注文し、窓際に空席はないかと隆広が顔を上げたときだった。店内の一番隅っこの席に、見慣れた横顔が手元に目を落としている姿があった。
 見慣れた、と言ってもバンド活動で見慣れているだけで、この店でその顔を見かけるのは初めてのことである。一瞬気づかないふりをしてやりすごそうとも思ったが、なんとなくそれは失礼な気がして、そちらに足を進めることにした。

「よう」

 短い挨拶を投げかけると、印象的な垂れ目がちらりとこちらを見上げた。
 たかし――野木バンドのベースを勤める寡黙な青年は、あ、と小さな声を漏らす。

「おまえがここにいるなんて珍しいな」
「……翼が行ってみろってしつこいから」

 野木が崇にこの店を勧めている場面は、隆広も何度か目撃したことがある。たしかそのときは「興味ない」の一言で流した気がするが、こうしてちゃっかり、しかも一人で訪れるあたり、意外と可愛いなと隆広は胸の中で呟いた。

「隣いいか?」

 どうぞ、と答えた声はさして嫌そうな気配もしない。とりあえず嫌悪に思われてはいなさそうだ。

「仕事帰りか?」
「そう。家は二駅くらい離れてるけど、職場がこの辺だから、ここの場所は知ってた。あんたは大学帰りか?」
「ああ。すぐそこだからな」

 ふ〜ん、と崇は視線を窓の外に移す。
 沈黙――あたかも言葉の無意味さを語るかのように、崇は黙ってしまった。自分が何か話題を投下しなければ、そう思うが彼を相手にいったい何を話せばよいのかまったくわからない。こういうときに自分のコミュニケーション能力の低さをまざまざと感じさせられる。
 趣味でも訊いてみようか、と声を出しかけたとき、窓の外の何を見ているのかわからない瞳が、再び隆広のほうに戻ってきた。

「あんたって翼のこと好きだろ?」

 まさかそんな質問が崇の口から飛び出してくるとは思ってもみなかった隆広は、表情の選択を誤って引きつった笑顔で驚いた。

「……いきなりなんだ?」

 震えそうになる声を必死に整えて訊き返す。

「なんか、そんな風に見えるな〜って」

 いったい隆広のどこにそう見える要素があったのだろうか? たしかに野木に対して好意を持っているとはいえ、それを他人にわかりやすく態度や言葉に示した覚えはない。

「翼はあんたのこと大好きだと思うけどな。あんたと話すときのあいつってすごく楽しそうな顔をする」
「そう、なのか?」
「ああ。俺たちに向けてくるのとは、少し違う感じ」

 そういえば以前、矢田に同じようなことを言われたことがある。それで野木の表情をじっくり観察してみようと踏んだのだが、結局違いがわからず諦めたのだった。

「でもだからって、俺のこと好きとは限らんだろう。だいたいあいつも俺も男だ」

 だから、彼のことをどんなに好きでも、ただのドラマーからもっと濃厚な関係にはなれない。熱い想いとともに悲しい現実を理解したのはつい先日のことだ。

「矢田に訊かなかったのか? 甲斐かいさんのこと」
「甲斐さんが野木の面倒をよく見てたってのは本人から聞いてる」
「そうじゃなくて、甲斐さんと翼が付き合ってたって話し」
「……それ、本当なのか?」
「ああ。――マジで知らなかったのか? てっきり矢田が喋ってるもんだと思ってたんだが」

 そんなこと、聞いていない。だから受けた衝撃は結構大きくて、頭の中がショートしそうな感覚に陥ってしまう。
 だが、と隆広は顔を上げた。野木が男を好きになれるというのなら、叶わないとばかり思っていた自分の気持ちも、まだ可能性が残されているのではなかろうか?

「でも、俺にそんなこと話してどうすんだよ?」
「最初に言っただろう。あんたが翼のこと好きそうに見えたから」

 最初と変わらず、崇は落ち着き払った口調で続ける。

「いい加減、あいつには幸せになってほしいんだよ。甲斐さんのときは散々だったし、その以前もいろいろと辛い目に合ってる。だからここらへんでそういうの打ち止めにしてほしいんだ」
「でも、さっきも言ったが俺のこと好きとは限らんだろう?」
「まあ、な。あんたのこと大好きってのはあくまで予想だ。少なくとも人として好きなのは間違いないが」

 自分を慕ってくれているのはわかっているが、それが本当に恋愛的な意味での好意だとしたら、舞い上がってしまうくらいに嬉しい。

「あんただったらあいつのこと任せても大丈夫なんじゃないかって思うんだ。結構頼りになりそうだし、あいつのことを一番に考えてくれそう」
「そんなこと言ったって何も出ねーぞ? つーか俺とあんま話したことないのによくもそこまで言えるな」
「翼が毎日のようにあんたのこと語ってくれるからな。それに俺の趣味の一つは人間観察だ」
「うわ、悪趣味……」

 うるさい、と崇は笑う。

「何話したらいいかわかんねーんだよ、あんた。いや、あんたに限らず大概の人間にはそう感じているけどな」
「俺もおまえとは何話していいかわかんね。だから今日だって声かけるのにだいぶ勇気が要ったんだぞ」

 しかし、予想外にも崇から話題を振ってくれて、気まずい沈黙が長く続くことは避けられた。内容まで予想外なものが投下されるとは思ってもみなかったが、そのおかげで自分の気持ちに可能性を見出せてよかったと思う。

「翼とそういう関係になろうって気があるんなら、あんたから言ってやってくれ。いまのあいつはたぶん、自分から気持ちを打ち明けるようなことはしない。甲斐さんのときのショックがまだ頭の中に残ってるみたいだから。また同じようなことになったらどうしようかって、次に進むことを恐れているんだと思う」
「なんとなくわかる気がする。でも、今度は大丈夫だ。俺は絶対死んだりしない」
「約束だぞ。もしあんたがうっかり死んだりしたら、あの世で鉢合ったときボコボコにしてやるからな」
「肝に銘じておく。っつか、ここまで心配してくれるやつがいて、野木は幸せ者だな」
「本人はそれわかってるのかどうかさっぱりだけどな」

 彼のことだから、きっと崇の思いもわかっているはずだ。そして同じように崇のことを心配したり、困ったときは助けたりしたいと、この人形めいた無表情な顔を見ながら考えることもあるだろう。

「羨ましいな。おまえも矢田も、あいつと一緒にいた時間が長い分、あいつのことをよくわかってる」
「あんたはこれからいくらでもわかっていけるだろう? 時間なんていくらでもあるんだ」
「……そうだな」

 過去の事情も抱えている痛みも、理解した上で幸せな未来へ導いてあげたい。そして隆広のこともいろいろとわかってほしい。いまはまだスタートラインにすら立っていないが、そのラインを踏み越えるのはもう間もなくだ。

「わかっていきたいと言えば、おまえのこともわかっていきたいな、俺は」

 そう言って崇の顔を見やると、男らしく整った顔は眉を顰めた。

「俺の何が知りたいって言うんだよ?」
「えっと、御趣味は?」
「見合いかよ」

 ぷっと吹き出した顔は、いつものムスッとした雰囲気とは一変して穏やかなものだった。そのギャップに少し驚かされつつ、崇がこうして素の自分を見せてくれることがなんとなく嬉しかった。

「俺のこと知りたいってんなら、一つ大事なことを教えておいてやる」


★続く★







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