05. 助言-2


「――俺のこと知りたいってんなら、一つ大事なことを教えておいてやる」

 そう言ったたかしの顔には悪戯な笑みが貼り付いていて、その意外な表情に隆広は首を傾げる。いったい大事なこととは何だろうか? 早く言えと視線で訴えると、逆に崇はもったいぶるようにコーヒーを二口飲んでから、少しの間を置いて再び口を開いた。

「実は俺も翼のことが好きなんだ」

 心臓の萎縮する音が聞こえそうなくらい、その言葉は隆広に驚きを与えた。思わず目を見開いたまましばらく硬直してしまう。

「正確には“好きだった”かな。とっくの昔に振られて、すっかり諦めてるから」
「告白したのか!?」
「ああ。でも俺とはどうしても友達でいたいってさ」

 苦笑した崇の顔にも声色にも、寂しげな気配はない。むしろ過去の出来事だと、ちゃんと割切れている感じがして、隆広は少し安堵する。もしいまでも彼が想いを引きずっていたら、隆広はこれ以上前に進むことを躊躇ためらってしまうところだった。

「ちなみに矢田も翼のこと好きっぽかったよ。いまはあんたに進路変更したみたいだけど」
「いや、それはないだろ」
「あるって。いつもケツ触られてんじゃねーか」
「あれはただあいつが変態なだけだ」

 そんな変態の矢田も、おそらく隆広の恋心に気づいているだろう。初めて会った日の夜の電話、もしかしたらあの辺りから感づいていたのかもしれない。そしてその疑いは先日、野木も合わせて三人で食事をしたとき、茶化された隆広の露骨な戸惑いを見て確信へと変わったに違いない。

「たしかにあいつは変態だが、根はいいやつだぞ。俺のことも気にしてくれてるみたいだし、翼が甲斐さん亡くして悲しんでたときもちゃんと支えてくれたから」
「おまえ矢田のこと嫌ってるんじゃなかったのか? よく剣呑な目つきで見られてたって言ってたぞ」
「別に嫌いだとは思ってない。それに最初の頃はあいつのスキンシップに慣れなくてリアクションに困ったんだよ。つーか、むしろ俺はあいつのこと結構尊敬してるぞ」

 それは隆広も同じだ。普段はふざけている反面、ヴァイオリンの練習は人の二倍も三倍もこなしているようだし、メンバーをまとめるのはやはり上手い。過激なスキンシップだってあまり口数の多くない隆広を思ってこその行動なのだろう。まあ、多少はいらぬ感情も含まれているようだが、不愉快に思ったことは一度もない。

「いまの絶対本人には言うなよ。あいつ調子に乗りそうだから」
「ああ。俺もそう思うわ」

 褒められて有頂天になった矢田はスキンシップをより過激なものにするに違いない。しかも普段褒めてくれるどころか、話しかけてくることすらめったにない崇の台詞だから、嬉しさのあまり押し倒してしまわないか心配だ。

「矢田もあんたと翼がくっつくんだったら文句言わないだろう。多少、茶化すようなことはするかもしれないけど、あいつだってあんたとくっつけば翼が幸せになることくらいわかってるはずだ」
「そうだといいけどな」

 隆広は野木が好きで、崇もまた彼が好きで、そしておまけに矢田も野木に恋愛感情を抱いていた。大人気だな、とあの大きな黒目が特徴的な顔を思い浮かべながら心中で呟いた。
 それから崇とは、いままで話せなかった分互いのことをいろいろ話し、そうして一息ついた頃には店に来てから二時間近くも経過していた。無口同士にしてはよくもこんなに会話が続いたなと内心驚きつつ、店を出ようかと崇に促す。

「あんた結構喋るのな」
「崇もな」

 崇は最後に一つ笑って、窓の外を見やったあとに立ち上がった。

「約束、忘れるなよ」
「ああ、忘れないさ。俺は絶対に死んだりしない。なんだったら指きりでもするか?」
「気持ち悪いこと言うなよ。ここでそんなことしたら周りにゲイだと思われるだろうが」
「いや、あながち間違ってねーだろ」

 そうだな、と笑い混じりに言葉を返して、崇は出入り口のほうへ歩き出す。

「じゃあ、また次の練習のときに」
「気をつけて帰れよ」

 そうして崇が店の外の交差点を渡っていくのを見守ってから、隆広も帰ろうかと立ち上がったとき、

「ん?」

 崇が着いていた席に紙切れが置いてあることに気がついて、そっと手に取った。
 一枚の小さなメモ用紙だった。それに達筆な字で何か書かれている。

“本当は俺だってあんたのこと結構好きなんだぜ 
まあ、ここは翼に譲ってやるけどな”

「まったくあいつは……」

 時々視線が合ったとき、もしかしたら崇はいちいちときめいたりしていたのかもしれない。そう思うとなんだか彼のことがすごく可愛く見えてきて、思わず笑みが零れてしまう。
 もしかしたら、崇に恋をしてしまうような未来もあったのかもしれない。それはそれでおもしろい人生になったかもしれないが、隆広の“いま”は野木に対する気持ちでいっぱいいっぱいだった。

「ごねんな、崇」

 だから、彼の自分に対する想いを振り切って、隆広は“そこ”に向かって歩き出す。
 電車でたった一駅の距離、駅からは少し歩くものの、そう遠いところではない。そこにきっと彼はいて、時間的に夕食を食べているか、あるいはそれの準備をしているか、いや、もしかしたらピアノの前に着いているかもしれない。

『翼はあんたのこと大好きだと思うけどな。あんたと話すときのあいつってすごく楽しそうな顔をする』

 崇の言葉が本当なら、自分のこの熱い想いにも希望はあるのだ。だから、もし届くのなら一刻も早く野木に伝えたい。

(駄目だとしたら、そのときはそのときだ)

 早まる鼓動と、それに答えるかのように早まる足。
 愛の告白をするとき、男ならロマンチックな雰囲気を作り出した上で、それに合った甘い台詞で相手を口説き落とすものなのかもしれない。しかし、生憎隆広はそのような台詞も、そういう雰囲気を作り出すスキルも持ち合わせていなかった。

(でも、そんなもの必要ねーんだ)

 飾ることなく、この気持ちをストレートに伝えればよい。それが一番自分らしくて、一番手っ取り早い。
 隆広の突然の告白を受けた野木は、やはり驚くだろうか? きっとあの大きな瞳を更に大きくして、言葉を失うに違いない。だが、その後はいったい何と返してくるだろうか?

(きっと、大丈夫だ……)

 彼と長く過ごした崇と矢田が押すのだ。きっと大丈夫だ。そう自分に言い聞かせようとするも、やはりどこか不安を拭えない部分がある。

(考えても仕方のないことだけどな)

 思えば自分から告白をしたことなどなかった。女の告白を受け、なんとなく付き合うようなことは何度かあったが、隆広は最後まで恋愛感情を抱くことはなかった。そう、人を好きになったことすらないのだ。

『隆広くんって、なんか冷たいよね。好きじゃないならそう言ってよ。好きな人に適当な態度とられるのって、結構辛いんだよ』

 別れ際にそう言ってきたのは、どの女だっただろうか?
 付き合ってみれば、そのうち相手に好意を抱くのかもしれない。最初はそう思ってご機嫌取りやデートスポットの提案などに必死になるも、やはり好きにはなれないと自覚した瞬間、隆広の態度はどうしても素っ気なくなる。そしてそれが別れへと繋がるのだ。
 いったいそれを何度繰り返しただろうか? そして、これからもそれを繰り返すものだと思っていた。

(けど、今度は違う)

 どうしようもないくらい、好きなのだ。彼以外の何もかもを捨ててもいいというくらい、好きなのだ。
 早く会いたい。顔を見たい。また、抱きしめたい。
 早く、早く、と思えば思うほど足は速まって、ついには走り出す。
 あと百メートルくらいの距離に、野木の家が見えた。玄関と居間の明かりが点いている。

(もうちょいだ)

 あと少し、あと少し……。
 あと少しで、あの顔に、あの身体に触れられる。

 ――そう心中で呟いた瞬間だった。

 隆広の右半身に、強い衝撃が走った。同時に足が地面を離れ、巨体が綺麗に宙を舞う。
 驚くべきほどゆっくりと落下していく中、隆広が最後に見たのは暗い道を照らす二つのヘッドライトだった。


★続く★







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