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06. 愛の言葉の行く先-1


 夜のとばりが冬空のもとに下り始めていた。
 すっかりクリスマス一色に包まれた街中を一人で歩くのは、さすがの隆広たかひろも少しばかり寂しい気分に囚われる。しかし、駅に行くにはどうしても避けては通れないので仕方がない。
 大学の最寄り駅から電車に乗り、一駅ほどで隆広は降りた。こちらも駅前はクリスマスムードに完全に包まれているようで、また先ほどと同じ気分を味わうのかと、つい溜息を零してしまう。

(でも、行かなきゃなんねーんだ)

 駅前の喧噪けんそうを足早に通り過ぎ、今度は住宅の密集したところに入っていく。道を割いて家々を建てたのか、この辺りの道は複雑極まりなく、行き止まりなどもあって、まるでちょっとした迷路のようになっていた。それでも何度も同じ道を辿った隆広が道を間違えることなどない。
 そして今日も、昨日訪れたばかりのその家の前で立ち止まる。
 二階建ての立派な一軒家。居間のものと思しきカーテンの隙間から明かりが零れているので、この家の主が在宅中であることが確認できる。

(元気にしてんのかな……)

 おそらくあのカーテンの向こうにいるであろう“彼”の顔を思い浮かべながら、隆広は右手をインターフォンへと伸ばす。しかし、その手はあと数センチでボタンに触れるというところでピタリと止まり、少しの間を置いてズボンのポケットへと戻っていく。
最後に郵便受けの上にある“野木”と書かれた表札を少しだけ眺めて、隆広はその家を後にした。



「きっとまた、同じことになってしまうから」

 あの事故以降初めて顔を合わせた野木は、目も合わさずにそう言った。

「俺と一緒にいるとまた事故に遭っちゃうよ」
「そんなこと、わかんねーだろ?」
「わかるんだっ」

 顔を上げた野木の瞳からは、いまにも涙が溢れ出しそうだった。

「栄一さんに父さんと母さんに、隆広さん……。俺にとって大事な人はみんな事故に遭った。隆広さんは運良く助かったけど、次はどうなるかわからない。だから、もう俺には近づかないほうがいい」
「そんなの偶然に決まってるだろ!」

 甲斐や両親のことは偶然で、自分は単なる不注意だ。野木が自分を責める理由なんてどこにもない。そう諭そうと口を開きかけたが、野木の叫ぶような声に遮られる。

「偶然じゃないっ!」

 野木がこんなにも感情もあらわに声を荒げるということがいままでなかっただけに、隆広は少し驚いてしまう。

「偶然じゃ、ないんだよ。きっとそういうふうにできてるんだ……」

 大きな黒目には、何の光も灯っていない。すべてに絶望し、希望をなくした人間のそれをしていた。
 きっといまの野木にはどんな言葉も届かないだろう。この場面で自分の想いを伝えても、きっと何の意味も成さない。それに、これ以上隆広はどんな言葉をかけたらいいかわからなかった。おまえのせいではない、と言うことは簡単だろう。だが、言うだけ言ってそれが相手に理解してもらえないのなら、声に出してみても無駄なことだ。

「俺は絶対、お前から離れないからな」

 しかし、これだけは言っておきたい。胸の片隅のほうでいいから、しまっておいてほしい。

「どんだけ時間がかかっても、絶対、おまえが悪いわけじゃねーってわからせてやるから」

 野木は最後まで目を合わせようとしなかった。そしてそのまま身を翻し、玄関のドアを閉めてしまう。
 結局、何もできなかった。野木のはっきりとした拒絶姿勢を確認しただけで、事態を良い方向に持っていくことができなかった。
 そう簡単に済むことではないとわかってはいたが、実際にそうなるとやはり自分が無力に思えてしまう。

(でもまだ、時間はあるんだ)

 さっき言ったように、時間がかかっても必ず野木に理解してもらう。そして、ちゃんと和解した後に自分の気持ちを彼に伝えよう。そう決意して隆広は野木家の玄関を離れていった。




 それから一週間が過ぎ、今日に至る。
 きっと時間が解決してくれるだろうという矢田の言葉を信じ、隆広は野木に会うのはもちろんのこと、電話やメールも一切していない。というか、それをしてしまうと野木の繊細な心を刺激してしまいそうで怖かった。
 それでも彼の様子が気になって、毎日こっそり家まで来てしまうのは最早病気だろうか?

(つーか、ストーカーだな……)

 わかっていても止められないのは、野木に対する執着があまりにも強いからだろう。こうやってストーカーが生まれるのか、と理解してしまった自分に嫌悪さえ感じる。
 野木の家を離れてからまた一駅戻り、帰宅した隆広は自室のベッドに倒れ込んだ。ここ最近、体力を削られるようなことをしたわけでもないのに、夜が近くなるとどっと疲れが出るのは、精神面で結構きているせいだろうか?
 暇さえあれば、彼はいま何をしているのだろう、何を思っているのだろう、などと野木のことばかりを考えていた。そして最後には必ず自分の無力さを実感して肩を落としてしまう。
 最も負担になっているのは、彼に会えないもどかしさだった。いつものように他愛もない会話をして笑い合ったり、彼の作った曲を一緒に演奏したりしたい。
そして何より、あの華奢きゃしゃな身体に触れたかった。ぎゅっと抱きしめて、頭を撫でて、唇を重ねたい。そこからどんどん妄想が広がっていって……

(って、何考えてんだ、俺は……)

 会いたくても会えなくて、苛立ちばかりが積もっていく。それが徐々に妄想の世界をつくり上げていって、暴走してしまうのだ。
 咄嗟とっさに妄想を振り払うも、隆広の下腹部はすでに熱を帯びている。ズボンの上からそっと触れると、そこは少しばかり硬くなっていた。

(俺、最低だな……)

 野木が苦しんでいるというのに、自分はいったい何を考えているのだろうか。そう思うのに身体は正直で、結局ズボンのファスナーを下ろしてしまう。
 下着ごとズボンを脱ぎ捨てたときには、そこはすでに最大の硬度に達しようとしていた。指先で触れてみると、じんわり熱い。痛いほどに大きくなったそれを、隆広は咎めるように強く握る。

「野木……ごめんな」

 無意識に呟いた謝罪の言葉は、乾燥した空気に溶けていく。
 苦しくて、悔しくて、熱くて、愛おしい。様々な感情が混ざり合って、それがすべて手の中に握り締めたものに集中していくのを感じた。

「野木……好きだ……愛してる」

 爽やかで清潔感のある短い黒髪、純粋で吸い込まれそうな大きな瞳、少しあどけなさの残る、人形めいて端正な顔立ち。笑うと更に幼く見えて可愛かった。
 練習では情熱的なバラードを歌う彼の口は、隆広のモノを咥え込んでくれるだろうか? ピアノの鍵盤を滑らかに滑る指は、このいやらしいモノをどのように触ってくれるだろうか?
 着ている物を一枚、一枚脱がしていき、最後にパンツ一枚だけとなったら、脱がす前にその上から彼のそれを触ってやりたい。指先で裏筋をなぞって、先端部をグリグリと弄ってやろうか。それをやられた野木は、いったいどんな声で鳴くのだろう?
 そして先走りの蜜が滲んできたら、最後の一枚を脱がすのだ。まだ見ぬそこを今度は直に触って、食べてしまいたい。

「野木……野木……イくっ!」

 淫靡いんびな表情と、隆広の愛撫に堪らなくなって喘ぎ声を漏らす彼の姿を想像すると、隆広はあっけなく上りつめてしまう。
 白く濁った欲望の塊が、腹筋の割れ目に流れ込む。それをじっと見つめながら、自慰後の独特の罪悪感に苛まれるのだった。

「野木……マジでごめんな」

 荒い呼吸の中で吐き出した謝罪の言葉に、隆広はますます罪悪感を抱いてしまう。いっそこのまま息が止まってしまえば楽なのにな、と思いながら、枕元に置いてあったティッシュを数枚摘み上げる。

「俺、ホントに最低だな……」

 そして自慰を始める前に心中で呟いた言葉を、今度は声に出して言うのだった。


★続く★







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