06. 愛の言葉の行く先-2


「――久しぶり」

 コーヒーショップの窓際の席に腰掛けていた隆広に、誰何すいかが掛かる。見上げた先にあった顔は、彼の言葉どおりたしかに久しぶりに見るものだった。

「よう、たかし

 崇は何の表情も浮かべることなく、正面の席に腰を下ろす。
 隆広が退院して以来、彼と顔を合わせることは一度もなかった。そもそもの接点がバンド練習以外にないので当然のことだが、たった一週間と少し空いただけでもずいぶんと懐かしい気がした。

「家離れてんのに、こっちまで呼び出して悪かったな」
「離れてるっても一駅だけだろ」

 昨夜、時間の経過をただじっと待つのに耐えられなくなった隆広は、野木に一番近しい崇に電話を繋いだ。あまり長電話を好まないため、用件と今日の日時だけを手短に伝えて電話を切った。

「昨日すぐに電話切りやがったけど、電話じゃ駄目なことなのか? それとも俺の顔が見たくなったとか?」
「まあ、そんなとこ」

 そう返すと崇は軽く噴出して、視線を隆広から窓の外へと転じる。少し照れているような気配だった。

「からかうなよ」
「おまえから振ってきたんだろうが」
「あんたが否定すると思ったからだよ」

 すっかり紅く染まってしまった顔は、普段愛想がないだけにそのギャップが可愛いとさえ思う。

「でも、なんで俺はおまえに惚れなかったんだろうな……」
「なんだよ、いきなり。つーか、俺とあんたじゃ絶対上手くいかなかったろ」
「そうか?」

 無愛想同士、案外上手くやっていけたような気がするが。

「いや、ないだろう。絶対どっかで衝突してたと思うし、衝突したらしたでお互い一歩も譲れないで、さようならってなる気がする」

 たしかに崇は自分の意志を曲げそうにないし、隆広自身だって譲らないときはまったく譲らない。

「だから、やっぱあんたには翼が合ってると思うんだ。翼はそこまで強情じゃないし、あんたもあいつ相手だと譲歩しそうだしな」
「……否定しねーけど」

 野木となら恋人として末永く付き合っていけるというのは、隆広も自覚していることだ。しかし、未だ二人の関係は“バンド仲間”という形から何一つ進展していない。その先へ辿り着くには、とりあえず現状の回復をしなければならかった。

「――野木と連絡取ったりしてんのか?」

 そしてようやく、本題を切り出す。
 崇はその質問が来るのをわかりきっていたように苦笑して、首を横に振った。

「メールも電話もしてっけど、全然反応なかった」

 そうか、と隆広は項垂れる。幼馴染の崇なら何かしら野木と接触をしているものかと思っていたが、状況は自分と変わらないらしい。この分だと矢田もきっと同じなのだろう。矢田よりも崇のほうが、野木にずっと近しい存在のはずだから。

「本当に時間が経てば元に戻れると思うか?」

 矢田の言葉を信じていないわけではないが、時間が経てば経つほど、野木との距離がどんどん広がっていくような気がしてならない。そしてそのまま、バンド仲間でもない、ただの他人になってしまうのが怖かった。

「どうだろうな。正直あんま自信ないわ。前のときは、俺からの電話ちゃんと出てたし」

 前のとき、というのは甲斐栄一が事故で亡くなったときのことだ。やはり今回は、身内が事故に遭うのが三度目というのが、彼の心に重く圧し掛かっているのだろう。

「もしかしたら――」

 と、崇は少し険しい表情をして、

「今回は俺や矢田たちまで遠ざけるつもりなのかもしれない」

 少し悔しさの滲むような声を吐き出した。

「両親のこともあるから、たぶんあいつは自分が惚れた相手じゃなくて、大事に思っているやつ全部が不運な目に遭うって思ってる。だから、俺ともこのまま連絡取らないで、縁を切るつもりなんだろう」
「……それはなんか、悪い」

 そもそもの発端は隆広が事故に遭ってしまったことである。それで崇たちと野木の関係にまでひびが入ってしまったのなら、ひどく申し訳なかった。

「謝ることじゃないって。まあ、たしかにあんたが車に注意しなかったのも悪かったのかもしれないけど、やっぱり一番ゆるせないのはあいつだ。自殺未遂なんかしておきながら、心配した俺たちには謝りもしないで。そのまま引きこもって電話にも出ないってのは、おかしいだろ? それに、自分だけ自殺未遂するほど心配しましたって感じだったけど、俺だって隆広さんのこと心配だったんだよ。だってさ――」

 何かを言いかけた崇の口が、あ、という短い感嘆符を残して閉ざされた。

「どうした?」

 いや、と隆広をまっすぐに見ていたはずの目が逸らされる。

「なんだよ? 気になるじゃねーか」
「絶対言わない」

 眉をひそめて口をへの字に曲げた顔は、隆広が思っていたとおり、やはり強情なようだ。それでも気になって夜も眠れない、などとしつこく問い詰めると、最後には勘弁したように息を吐いて、おずおずといった感じで答えてくれる。

「俺だってあんたのこと好きなんだから、死ぬほど心配したんだよ。だから翼の自分一人だけ不幸なんです、ってていが気に入らなかったんだよ」
「……なんか、普通に照れるわ」

 だから言いたくなかったんだよ、と崇は顔を赤らめる。

(こいつ、やっぱ可愛いな)

 そう思いながらも野木から彼に乗り換えるつもりはまったくないが、心が癒されるというか、悪戯心が満たされることには違いない。だから思わず顔がにやけてしまい、見かねた崇に軽いデコピンを喰らってしまう。

「そんなことよりさ、俺、今日翼んち行ってみようと思うんだけど」

 冗談を交し合う雰囲気から一転、至って真面目な表情で崇は告げた。

「もしかしたら居留守使われるかもしれないけどさ。でもあいつ無用心だから、たまに勝手口の鍵閉めてないことあるんだよ。それを狙って」
「不法侵入かよ」
「だって、それしかないだろ? そうでもしないとあいつは絶対会ってくれない」

 たしかに、と隆広は頷いた。隆広が訪ねたときも居留守を使われたのだ。電話やメールに関して隆広と同じような状況に陥っている崇が行っても、きっと結果は同じだろう。

「でも、会ってどうするんだ?」

 問題はそこである。いまの野木には、どんな言葉も届かないのではないだろうか?

「どうにかするさ。具体的にどうするかは言えないけど、とにかく行ってくる。あんたはついてくるなよ」
「わかってるさ」

 ついて行ったところで、いまの隆広にできることなど何もないのだ。だからここは崇に一任しよう。

「自信は、まあぼちぼちってところだ。駄目だったらまた考える」
「そっか」

 野木の精神状態には、彼と出会って一月も経たない隆広より、幼い頃からともに過ごしてきた崇のほうがずっと詳しいはずだ。きっと、野木の心を汲み取って、いいようにしてくれるだろうと信じている。
その差が頼もしくもあり、少し羨ましくもあったが、矢田がいつの日か言っていたようにこれからいくらでも埋められるものだ。少なくとも未熟ないまは、野木を感化させる役目を崇に譲ってもいいだろう。

「頼んだ」


★続く★







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