02. 二人の住む場所
雲ひとつない晴天の空は、季節の変わり目を知らせるかのように冷たい風を地上にもたらしていた。学校の屋上に吹きつける風もいつの間にか冷気を孕んだものに変わっていて、司は思わず身体を震わせた。
高校に上がってからの昼休みは、ずっとこの屋上で過ごしている。というのも教室のざわついた空気が司は好きになれず、校内で一人静かに過ごせる場所がここしかないから、わざわざ一階の教室から四階分の階段を上がってきているのだ。
「――よう、番長」
出入り口の扉が開く音と同時に、明るい声が静かな空気を引き裂いた。姿を現したのは、短い金髪をハリネズミの毛並みのように立てた男――学校では「番長」と呼ばれている司の側近として恐れられている清水春樹である。だが、その実態はどこの高校にもいそうな明朗快活な人柄で、司同様悪事にはまったく手を染めていない、ただ見た目だけで身に覚えのない汚名で呼称されている人間だ。
購買で手に入れたらしいパンとイチゴミルクを手にした春樹は、司の隣にずかりと腰を下ろして、正体不明の溜息をつく。
「番長はまた愛妻弁当ですか」
司の食べかけの弁当を見て、番長の側近と呼ばれる男は嫌味っぽく、呆れとも感嘆ともとれる言葉をもらした。
「お宅はまた飽きもせず購買のジャムパンとイチゴミルクですか」
こちらもまた嫌味たっぷりの台詞を吐いて、綺麗に巻かれた出汁巻き玉子をぱくりと食べる。
「いいよなぁ、司は毎日弁当作ってくれる妻がいて」
「妻じゃねぇ、弟だ」
まあ妻と変わらないけどな、と付け加えると、春樹はもういいという風にしっしと手を振った。
司の弁当は弟の仁志が毎日作ってくれている。というのも、本来作ってくれるはずの母親が、一年ほど前に交通事故で死んでしまったからだ。
その交通事故で失ったのは何も母親だけではない。車を運転していた父もぶつかってきた大型トラックに押しつぶされ、兄弟はいっきに両親を亡くしてしまったのだ。
その後、司と仁志は親戚に引き取られたものの、慣れぬ大人に気を遣う生活に嫌気が差して、自宅に戻ってしまったのだった。以来、生活費や学費などは親戚のフォローを受け、家賃は司がバイトして稼ぎ、家事は仁志がこなすという生活を続けているのである。
「家では可愛い弟ちゃんと二人っきり。やっぱ毎日えっちしてんの?」
「下世話なこと言いやがるな。してるわけねーだろ」
ってのは嘘だけど、という台詞は心中で呟くに留め、口ではあくまで兄弟であることを主張する。
実際、毎日とまでは言わないが、司は週に一、二回ほど弟と行為に及んでいた。両親を亡くしてすぐのこと、悲しさにすすり泣く弟を心配して一緒に眠ってやったのをきっかけに、それが当たり前のようになってきて、ある日仁志が「兄ちゃんとしたい」と言い出したのである。
元々仁志に対して兄弟以上の想いを抱いていた司に、これを断る理由などなかった。互いにすべてを曝け出し、身体を重ね、愛に満ち足りた夜はその日だけに留まらず、今日まで何度もヤってしまっている。
「なぁ、もしも俺が弟くれっつったらお前どうするよ?」
「やらねぇよ。本気で言ったら殴るぞ」
「へいへい。弟ちゃんはお前のもんだもんな〜」
揶揄するように言った春樹をキッと睨み、司は弁当の残りのおかずを平らげる。――今日も美味かった。
「じゃあさ、じゃあさ」
弁当箱をしまいつつ、適当に返事すると、春樹の端整な顔が意外なほど近くに迫ってきた。
特に嫌がることもなく、間近の吊り目を睨んでいると、その目が三日月形に歪んだ。
「お前をくれっつったらどうするよ」
「あん?」
密かに司の股間付近まで伸びてきていた春樹の手を払いのけ、あと少し接近すればキスしてしまいそうなほど近くにある顔をぐいぐいと押しのける。
「……セクハラ」
毎日のように仕掛けられるセクハラめいたちょっかいにも、司はすでに慣れてしまっているが、気を許して「ぶちゅv」なんてわけにはいかなかった。春樹もそれが分かっているようで、これまで実際に決定的な行為をされたことはない。
「釣れねぇ奴。まあ、おりゃこう見えても金城兄弟の味方だからな」
「ホントかよ」
俺のこと疑ってんのか、と思わずといった様子を見せる春樹に司は笑い返して、通学用鞄を枕に横になる。
「予鈴鳴ったら起こしてくれよ」
放課後に五時間のバイトが待ち受けている司にとって、昼休みのわずかな睡眠も大切だった。へいへい、と面倒くさそうに返事をした春樹におやすみ、と言い残して目を閉じる。
「寝てる間に俺がセクハラするかもよ?」
「さっき味方って自分で言ったばっかじゃねぇかよ……」
「――ただいま」
バイトは平日五時間固定。だから帰宅する頃には夜の九時を上回ってしまっているが、それでも毎日明るい声は出迎えてくれる。
「おかえり」
ひょっこりと姿を現した小柄な少年は、あどけなさの残る顔に屈託のない微笑みを浮かべた。これが本当に司の二つ下の弟かと、疑いたくなるくらいに可愛らしい容姿の仁志の頭を優しく撫で、靴を脱ぐ。
「お前、俺のことは“あなた”って呼べっつったろ?」
口ではそう言うものの、実際司は仁志に“あなた”などと呼んでほしいとは思っていない。ただそう呼称することに困惑する彼が可愛くて、思わず虐めたくなってしまうのだ。
「『あなた、おかえり』ほら、言ってみろ」
「あ、あなた、おかえり……」
「『あなた、お風呂と御飯どっちにする? それともわ・た・し?』」
「あなた、お風呂と御飯、どっちにする? それともわ……」
あと少しで心が萌え上がる台詞を口にしてくれそうだったのに、仁志は直前に気づいたらしく、あからさまに不機嫌な顔をしてそっぽを向いてしまった。
「兄ちゃんの馬鹿っ」
そんな怒った様子も可愛くて自然と笑みがこぼれるが、それを嘲笑と受け取ったらしい仁志は司を一瞥して、居間のほうへ戻ろうとする。
「ちょっと待った」
「何ッ」
引き止めた声に返ってきた声には棘があったけれど、こちらを振り返った顔はやはり「可愛い」の一言に尽きるものだった。
通学用のボロい靴を脱ぎ、じっとこちらを睨んでいる弟の黒髪に撫でるように触って、最後に細身を抱きしめる。
「まだ風呂入ってないんだろ?」
抱きしめると必ず鼻につく石鹸の臭いが、今日はしない。太い腕の中にすっぽりと納まっている仁志は、こくりと小さく頷いた。
「んじゃ、久々に一緒に入ろうぜ。ちなみに拒否権はない」
そう言うなり、何か口にしようとした仁志を軽々と抱き上げ、風呂場に歩き出す。
「あっ! ちょっと待ってよー! 一緒になんか入りたくないし」
「その割りに抵抗しねえじゃん? ホントは一緒に入りたいんだろ?」
「違うし! 下ろせー」
力のこもった蹴りが炸裂するが、司の厚い胸板の前には何の意味ももたらさない。
結局脱衣所にはあっという間に辿り着いてしまって、仁志も諦めたように黙って服を脱ぎ出した。
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