まだ太陽が上がらぬ冬の早朝、暗い部屋にはけたたましい電話のベルが鳴り響いている。最初は夢かと思ったが、どうやらそうではないようでボクは仕方なくベッドから起き上がった。
 布団の外に出てみると凍てつくような寒さが全身に伝わってきた。吐かれる息は白い。

「はいもしもし〜?」

 冷たい受話器を耳に当て、まだちゃんと呂律の回らぬ舌を叱咤しったして声を出す。

『やあアルティアくん。元気かい?』

 受話器の相手は、ずいぶんと久しぶりに会話する人だった。

小父おじさまぁ。なんですかあ、こんな朝早くに〜」

 電話に内蔵された時計を見てみると、時刻はまだ午前四時十分。悪戯いたずら電話を好んでやる人間ですらこんな時間から行動を開始しようとは思わないだろう。

『今日が何の日か知っているかい?』

 ボクは受話器を持ったまま寝そうなくらい辛いのに、一方の小父さまはこれからパーティーにでも出かけるかのようにテンションが高かった。

「え〜と、今日は大切な睡眠時間を小父さまに邪魔された日です。おやすみなさ〜い」
『待ってくれたまえ』

 本当に眠ってしまおうかと思って受話器を戻そうとしたけれど、意外なほど必死な小父さまの声に咎められた。

『いや〜、確かにこんな朝早くから電話してしまったのは悪いと思ってるよ。だけどねえ、どうしても朝早くに訊いておきたいことがあったんだ。――再度質問するけど、今日が何の日か知ってるかい?』
「う〜ん……建国記念日? あれ、違うか。分かりません」

 こんな寒い季節に何か特別な日などあっただろうか? そもそも僕は記念日や祝日に疎い。

『ふふ〜ん。けしからんねえ。今日はクリスマスイブだよ? 君〜、夢見る子どもがそんな大切な日を忘れてどうするのかね』
「あの〜、ボクはクリスマスなんて日を喜ぶような年頃じゃないですよ〜。それにクリスマスイブってそんな重要な日じゃないでしょ〜。重要なのは明日」

 クリスマスは世界中でもとても大きなイベントの一つだが、ボクにとっては特別でも嬉しい日でもない。サンタクロースなんていうものはとっくの昔に偽りの存在だと認識したし、プレゼントをもらうような歳でもない。特別な日を一緒に祝うような相手すらいなかった。

『まあまあ細かいことは気にしないでくれたまえ。それでねえ、僕は君にプレゼントをあげようと思うんだ』
「ええ、いいですよー。もうそんな歳じゃないし」
『なあに、遠慮することはないんだよ? 君も両親を失って、プレゼントをくれるような相手がいないんじゃ寂しいだろ? 血縁関係ではなかろうとも、一時は共に生活した中だ。それくらいはして当然だと思うよ』

 どこまでも太平楽な口調で叔父さまは語った。

『それで、何が欲しいかね? ちなみに“現金”なんていう回答はなしだからね』
「じゃあ、家事をしてくれる自動人形オートマタが欲しいです」

 一人暮らしをしている僕にとって、家事とは苦労極まるものである。学校生活だけでも精も葉も尽きてしまうというのに、そのあとに家事が待ち構えているとなると、死ぬような思いだ。

『OKアルティアくん。君の希望は承った。明日の朝には届いているように手配するよ。それじゃ、いろいろ頑張ってくれたまえ』

 小父さまからの電話はそこまでだった。
 ボクは自分の熱ですっかり温まってしまった受話器を戻すと、背後のベッドに倒れこんだ。

 自動人形があると今の生活も見違えるほど楽なものになるだろう。家事はそれが全部やってくれるのだから。
 しかし本当に小父さまが自動人形をプレゼントしてくれるかどうかは怪しいところである。何せ小父さまはなんちゃってジェントルマン――外見は紳士的だが、中身は冗談の塊なのだから。
 半信半疑な思念を巡らせつつ、ボクはもう一度眠りについた。





★01 クリスマスはサプライズ!?





 外には白銀の世界が広がっていた。僅かな陽射しに照らされて、舞い落ちる名残雪が幻想的な輝きを見せている。
 アルティア・グラブド――それがボクに与えられた名前だ。
 ボクには父も母も、そして兄弟も親戚もいない。元々一人っ子だったから兄弟がいないのは当たり前だが、両親はボクが物心つく前に起きた戦乱に巻き込まれて死んでしまったらしい。いくら思い出そうとしても、二人の顔はまったく頭に浮かんでこなかった。
 早くも一人になってしまったボクを拾い、育ててくれたのが小父さま――ウィリアム・ウォルター・ワーズワース博士だった。中身は確かに冗談の塊かもしれないが、事実彼はアルビオンを代表する発明家であり、大学の教授としてもかなり評判だった。
 そんな恐れ多き人に十四歳のときまでお世話になった。それからはこのヴィエナに引っ越して神父になるために聖教を学ぶべく聖職者育成学校に入学したのである。
 学校の近くの一軒家での生活を始めてそろそろ一年――冬休みの今はとにかく家でゆっくりしている。ちなみに家賃は小父さまが負担してくれているから問題ない。
 
 暖房が効いてきて部屋はずいぶんと暖かくなっていた。インターフォンが鳴ったのはその頃だった。
 いそいそと玄関まで行くと、念のためドアスコープで訪問者の顔を確認する。ドアの向こうにいたのはセミロングの黒髪を戴いた美女だった。

「おはよ、シオン」

 ボクは美女を部屋の中へ招き入れる。
 シオン・アストラル――ボクの同級生で親友的存在にあたる人物だ。学校では“麗しき女神様”として名高い美女である。性格も見た目と同じで落ち着いており、他の女子と比べると大人っぽさを感じさせる。だから男子どころか女子にも人気で、彼女としばしば一緒に行動しているボクはみんなの恨まれっ子と言っても過言ではない。
 素晴らしいのは何も彼女の人柄だけではない。家はゲルマニクスを代表する大貴族で、その総資産は一千万ディナール(三十億円……だと思います)もあるらしい。それなのにシスターになろうとしている彼女が不思議でならなかった。

「おハロー」

 学校では淑女的な態度を絶対に崩さない彼女だが、ボクと二人だけになったときはなぜか普通の同年代の女の子らしい態度に変わる。なんでもボクとは本音で接しやすいのだという。まあ、ボクも彼女とは接しやすいと思っているのだが。

「上がって上がって。えへへ、暖房効いてるからあったかいよぉ」
「うん」

 一人暮らしの友達の家に来たというのに、ちゃんと靴をそろえて上がる様はやはりなっていると思う。

「あれ〜? アルんちはクリスマスの飾りつけしてないんだね」

 殺風景な部屋の壁に目をつけて、いかにも珍しそうにシオンは言った。

「他の家はみんな飾りつけしてるのに」

 私の家なんか特大のツリーを設置してるのよ、と少し呆れたように言うのは彼女がこういうイベントにあまり興味がないからだろう。

「ボクはクリスマスなんて日があること自体忘れてたよ」

 あまりにも自分に関わりがなさすぎていつの間にか頭の中から消えてしまっていたクリスマス。幼い頃は両親に何かプレゼントをもらっていたのだろうか? 

「でもやっぱりなんか寂しいわねえ」

 部屋を一周見回したシオンは、何かを考えるように指を自分の顎に押し当てる。

「去年のクリスマスってどう過ごしてたの? ワーズワース博士の家にいたんでしょ?」
「ん〜と……確か引越しの準備で忙しかったからなあ。一昨年は小父さまが教皇庁ヴァチカンに行ってたから一人きりで、その前もそんな感じだったかなあ。――つまりずっと一人きりだよ」

 一人きり、という言葉がずいぶんと寂しげに思えたが、決して悪くはなかった。自動人形しかいない小父さまの家をいろいろ探検したり、いろいろ発明品を弄ったり……こうして思い出してみると、クリスマスはボクにとって特別な日だったかもしれない。それでもその日を忘れてしまうのは、きっと一緒に過ごした人間がいないからだ。

「じゃあアル、クリスマスの飾り付けをしましょう」

 明るい調子で提案したシオンは、まるで新しい悪戯を思いついた幼い子のようだった。学校のみんながこんな彼女の姿を見ると、ひどくがっかりするか、あまりの可愛さに失神してしまうかのどちらかの反応を示してくれるだろう。

「私も手伝うから。いっぱい派手に飾って寂しくないようにしようね。――今年は私がいるから、独りじゃないよ」

 クリスマスを共に過ごす相手といえば恋人というのが定番だが、友達と過ごすというのもいいと思う。
シオンとはここまで親密に付き合っているというのに、それでも親友であるということは傍から見ればおかしなことかもしれない。異性間の友情がここまで深くなるだろうか――だが実際にこうしてボクとシオンが友情関係にある限り、それが存在しうるということになるのだ。

「友達、だもんね」

 うん、とシオンは美しい微笑みを浮かべた。
 知り合ってからそろそろ一年経つが、お互いがお互いのことを恋人だとは一度も思ったことがないだろう。確かにシオンは魅力的な女性だが、ずっと友達であってほしいと思う。たぶんシオンもそう思ってくれているに違いない。

「そういえば今年のクリスマスは小父さまから自動人形オートマタをもらえるんだよね」
「へぇ〜。よかったじゃん。それなら家事とか自動人形に任せて、その間に自分は他のことできるしね」

 そういうシオンの家には数十台の自動人形が導入されているらしい。

「ささ、飾り買いに行きましょ。それからツリーとサンタの衣装がいるわねえ」
「衣装?」
「そう。アルが明日それを来て近所の子どもたちにプレゼント渡してね★ プレゼントは私が買っておくから」
「……」

 こういうイベントに興味がないのかと思いきや、実は興味ありましたと言わんばかりにコスプレを強要するシオンは油断も隙もない。



 センター街で買ってきたクリスマス素材を部屋に飾りつけ、幾年かぶりにクリスマスというイベントに積極的になったような気がする。これもやはりシオンがいてくれたおかげだと思う。
 ボクの家はずいぶんと派手になった。何もなかった白い壁には電球で華やかなイルミネーションが施されている。部屋の隅には煌びやかな(?)ツリーを置き、本格的にクリスマスを堪能する準備が整ったわけだ。
 そうしているうちにいつの間にか夕刻を向かえ、シオンは家に帰った。
 久しぶりに誰かを過ごすクリスマスが来るのかと思うと、なぜだか嬉しかった。一人でいるのも楽しいものだと思っていたけど、やはり内心では誰かと一緒にいたいと思っていたのかもしれない。



 人の気配がした。
 しかしあまりの寒さに布団から出ることができなかった。それになんとなくその気配に立ち向かうのが怖い気がした。もしかしたら殺されてしまうかもしれないから……。
 もし泥棒だったとしたら、侵入する家を間違えた、と自分の判断を呪っているかもしれない。何せこの家には盗んで得するようなものがないのだから。
 しばらく布団に潜り込んで様子を窺っていると、床の軋む音が段々とボクの眠るベッドに近づいてくる。緊張で耳が熱く脈打つのが分かった。あまりの恐怖に脳味噌さえも震えている。
 せっかく久々にクリスマスという日を誰かと過ごせると思ったのに、ここでボクは死んでしまうのだろうか? 
 十五年間の人生の中で最大の絶望を感じた刹那、床の軋む音が遠のいていった――ボクの意識と一緒に。






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