02. お父さんの場合-3


 あれからいったいどんくらいの時間が経っただろうか?
 いつの間にか寝ちまっていたらしい。目覚めて最初に見たのは親父の寝顔どアップで、驚きのあまり思わず叫びそうになっちまった。いや、だって普通自分の親父が同じベッドで寝ているなんて思わねえだろ?
 俺の頭が下敷きにしていたのは親父の太い腕だった。もう片方の空いた腕は俺の背中をがっちりとホールドしていて、まるで恋人同士が添い寝してるみてえな状態だ。
 不思議と嫌な気はしねえ。あれほど嫌っていたはずなのに、いまは親父に甘えていたいと心の底から思っている。俺を包み込んでくれている心地いい体温に身を任せ、もうしばらく眠っていてえ。
 だが、少し身体を捩らせた瞬間に、その思いは一気に別の感情へと変貌する。

 俺の太ももの辺りに何かが接触したんだ。それは俺の背中に回された手よりも熱を持っていて、硬く大きくなっている。同じ男ならそれがなんだかすぐにわかるだろう。もちろん俺だってわかったさ。
 そんでそれが親父の勃起したチンコだと理解した瞬間、俺は初めて、確実に間違いなく――親父を一人の“男”として意識しちまった。

 よく見れば親父は俺の好みの顔をしている。歳こそ食っているが、実年齢よりも若く見える男らしくて精悍な顔立ち。昔はさぞかし女にモテたに違いねえ。いや、いまだって多少年齢制限は入っても、親父に抱かれたいと思う女は少なくねえだろう。
 そして俺も、うっかりチンコに触りてえなんて思いながら、ぎりぎりのところで押し留まった。俺らは親子じゃねえか。親子でそういうのはきっとよくねえ。――と、自分の欲望を抑えたはずなのに、俺の手は無意識の内に少しずつ親父のチンコに向かって伸び始めていた。
 太ももに当たっている感触から、結構なサイズだと推測できる。口に入るだろうかと変な心配をしながら、刻一刻と手とチンコの距離を縮めていく。そしてあとほんの数センチまで迫ったところで――親父がいきなり伸びをした。

「ん〜……」

 チンコに触れようとしていた手を咄嗟に引っ込めた瞬間、親父の切れ長の瞳がゆっくりと開いた。

「寝ちまってたか。すまない」
「い、いや、そんなの全然いいって」

 どうせならもうちょっと眠っててくれたらよかったのに。そしたら親父のチンコに触れたのに。無論、そんな台詞を口に出すことはしねえけどよ。

「そうだ。寝ちまってたせいでお前に言えなかったことがある」

 親父は上体を起こすと、まだ横になったままの俺の頭をわしゃわしゃと撫でる。

「テスト、よく頑張ったな。お前は偉い」

 そう褒めてくれた親父の顔には、最後に見たのがいつだったか思い出せねえくらい久々に、笑みが浮かんでいた。俺もそれに対して笑い返そうとして――けど失敗した。すっかり枯れたと思っていた涙が、再び胸を突いて溢れ出す。

「泣き虫だな、お前は」
「誰のせいだよ。たくっ……」

 苦笑気味に笑った親父は俺の身体をもう一度抱きしめる。俺が泣き止むまでのしばらくの間、ずっとそうしてくれていた。



 身体を包み込む湯が気持ちよかった。
 今日の風呂は親父が入れてくれたらしい。つーのも、母さんは由美子さん――俺の叔母に当たる人な――と旅行に行っちまったらしく、その代わりに親父がある程度の家事を担っているからだ。

「勉強、頑張ってよかったな〜」

 そんな一言が口から零れ落ちる。
 一時は結局親父とわかり合えねえまま、俺の努力と坂上の協力がまったくの無駄で終わっちまうのかと思ったが、最後にはちゃんと俺のことを認めてくれた。それでなんだか俺が生きていく上で重みに感じていたものが一気に消えたみたいで、いまはすげえ清々しいっつーか、すっきりした気分でいる。
 もちろんこれで終わるつもりはないぜ? 坂上から勉強のコツを教わったことだし、自分のためにも、そして親父のためにも、もっと上を目指したい。
 でもまさか、この俺がそんなふうに思う日が来るなんて思ってもみなかったぜ。それと同じくらい、あの親父に優しく抱きしめられるような日が来るとは思ってなかったけどな。
 二人の関係が冷え込む前でさえ、あんなふうに優しくされたことなんかねえはずだ。そんで中学に上がってからは会話もほとんどなかったっつーのに、いきなりあんなことされたら驚くぜ。さてはツンデレなのか、親父は?

 ――そんなことを頭ん中で呟いていたら、いきなり出入り口のドアが開いた。

 俺が女子なら「キャー! えっちーっ!!」とか叫んでいたところだぜ。無言で入ってきたのはがっしりとした図体の男で、俺は思わず浴槽の中でひっくり返りそうになった。

「って、親父!?」

 まあ、この家に男っつったら、俺を除けば不法侵入者でもいねえ限り親父しかいねえわな。でも親父にしたって息子が入っているはずの風呂にいきなり入ってくるってどういうことだよ!?

「たまにはお前に背中を流してほしくてな」

 親父は悪戯っぽく笑う。その下の身体は厚い筋肉に覆われていて、まるで猛獣みてえに力強そうだ。股の間にぶら下がるチンコも、その身体の力強さに負けねえくらいふてぶてしい。太い亀頭が綺麗に皮から露出し、玉もなんか別のもんが入ってるんじゃねえかってくらいでかい。

 やべえ、すげえ興奮する。

 さっきまでこんな雄々しい身体に抱きしめられていたのかと思うと、なんかゾクゾクきちまう。そんであのチンコ――平常時でこのでかさなら、勃ったらどんくらいのサイズになるんだろうか? ちょっと手で触って大きくさせてえな。

 そんな自分の親父に抱くような感情じゃねえものを胸いっぱいに膨らませていると、チンコがムクムクと元気になってきた。慌てて親父の身体から視線を逸らし、勃起を鎮めようと頭の中でお経を唱える。

「背中を洗ってくれないか?」
「お、おう」

 髪を洗い終えた親父がスポンジを差し出してくる。
 背中もがっしりと筋肉に覆われていて、無駄な脂肪はどこにも見当たらねえ。男なら誰もが憧れるような身体だな。仕事は力仕事ってわけでもねえし、いったいどこでこんなに鍛えたんだろう?

「ほい、終わり」
「ありがとな」

 親父が身体の泡を流し終えたあとは、二人一緒に湯に浸かった。うちの浴槽はそんなに狭くはねえはずなんだが、親父の身体があんまりにもムキムキマッチョなもんだから、二人で入ると結構窮屈だった。そうすると必然的に互いの身体が触れ合っちまうわけで、密着した太ももから全身が熱くなってくるような気がした。ちなみにどういう状態かっつーと、親父のほうに背を向けて、股の間にちょこんと座っている感じだ。

「知らない間に成長したな」

 まるで独り言みてえに親父がぼそりと呟いた。

「最後に一緒に入ったときは毛なんか生えてなかったのにな」
「もう高二だぜ? 生えてて当然だろ」
「でも身体はひょろっちーな」
「親父ががっちりしすぎなんだろ」

 こういう普通の会話を親父と交わすのはずいぶんと久しぶりだ。いままで話せなかった分を埋めるかのように、親父は学校のこととか趣味のことを次々と訊いてくる。

「充実しているようで何よりだ。でも、家じゃ勉強勉強としつこく言って、息苦しい思いをさせて悪かったな」
「それは俺がちゃんと勉強しなかったのも悪かったって。親父が謝ることなんてねえよ」

 いままでの俺は自分の非を認めることなんてできなかった。努力もしねえ自分を棚に上げて、勉強しろとうるさかった親父ばかりを悪者に仕立て上げていた。いまにして思えばくだらねえガキの意地だったと、少しばかり恥ずかしく思っている。

「俺はお前が心配だったんだ。このままじゃろくな大学にも行けず、ろくな仕事にも就けないんじゃないかってな」

 坂上の言っていたとおり、親父が勉強勉強と捲くし立てたのは、俺の身を案じてのことらしい。

「俺の親父――お前のじいちゃんな。高卒で会社に入って、そこで大卒のやつらに低学歴なんて言われて虐められていたらしいんだ。よくお袋に泣き言を漏らしてたよ。――お前にはそういう惨めな思いをしてほしくなかったから、ついうるさくしてしまった」
「ならそう言ってくれりゃよかったのに。そしたら俺だってもっと素直になってたぜ?」
「意地を張ってしまったんだよ。お前と一緒でな」
「大人なんだからそこは親父が折れろよ」
「うるさい」

 親父の拳が俺のこめかみをグリグリと抉る。

「最後にはこうして折れただろうが」
「まあ、そうだけどよ。親父がすげえ優しいってこと、すっかり忘れてたぜ」

 真面目すぎて、頑固で、愛想がなくて、少しばかり目つきが悪いけど、そんなもん気にならなくなるくらいに俺のことを思ってくれている優しい父親だ。父親、父親、父親……のはずなのに、俺の心に芽生えちまったこの気持ちはなんなんだろうな? もっと親父に触ってほしい。そんで俺も親父に触りてえ。いつもみてえにすっかり黙り込んじまった親父の股の間で、一人そんなことを思っていた。


 ◆◆◆


「暑い……暑すぎるぜ」
「そうだな……」

 クールな坂上も、あまりの暑さに辟易したような声を上げる。
 俺たちはこの炎天下の中、電車で大阪まで出てきていた。つーのも坂上のおかげで、期末テストでいい結果を残すことができ、その礼で関西一美味いと言われているお好み焼きを奢るためだ。
 坂上はそこまでしてもらわなくても、と遠慮していたんだが、お前のおかげで成績が上がっただけじゃなくて、親父との仲も修復できたんだ。そんくらいのことはしねえと俺の気が済まねえ。

「ちょっとそこのコンビニで涼んで行こうぜ。頭がイカれちまいそうだ」
「うん」

 目当てのお好み焼き屋に着く前に暑さでくたばっちまいそうだった。これなら近場のラーメン屋で済ませとけばよかったかな、と今更遅い後悔をしながら、通りかかったコンビニの自動ドアをくぐる。
 店ん中はまるで別世界めてえに涼しかった。入ったついでにアイスでも買うとするか。そう思い立って俺は入口近くにあった冷蔵庫の中からどのアイスにするか検分し始める。

 ――そのとき窓の外に目をやったのは、偶然に他ならねえ。
   そして派手なカッコした女が目についたのも、偶然の出来事だった。

 背が高くて若い男の腕にすがりついた女は、実に楽しそうな笑みを浮かべながら歩いている。けど服装の割に結構歳のいってそうな顔だな。ババアが無理してんじゃねえよ。そう心ん中で毒づいた瞬間、俺の思考は停止した。
 見覚えがあったんだ。その年増の女の顔に。それは俺がちっせえ頃から毎日のように見てきた顔だ。

 ――その女は、間違いなく俺の母親だった。




続く……





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