04. 親友の場合-2


 長くて深い眠りについていた気がする。

 目を覚ますと、そこは俺の知らねえ場所だった。清潔感のある白い壁に同じ色をした天井と床。壁と壁の幅は広く、てっきり学校の廊下にいるのかと錯覚したが、それともなんだか雰囲気が違った。
 そんな場所にぽつんと置かれた長椅子に俺は腰かけていて、いったいどういう経緯でこういう状況になったのかと思い出そうとする。
 確かキョンと二人で遊んで、その帰りにキョンが突然ツンデレのデレを発動させたんだっけな〜。それを失礼ながら不吉なことが起こる前触れだと感じたことも覚えている。しかし、それ以降のことはなぜだか思い出せねえ。まるでそこからさっき目覚めるまでの記憶が切り取られちまったみてえだ。

 なんかヒントでもねえかともう一度辺りを見回したとき、“手術中”と書かれたランプが目に入り、ここが病院だっつーことを理解した。おまけにその下に突っ立っているキョンの姿を発見し、これでどういう状況なのか聞ける、と安堵する。
 もしかしたら、国木田の夏風邪が実は手術を必要とするほどの重病だったのかもしれねえ。そこんとこをどうして覚えてねえのかは疑問だが、まあいまはとりあえず置いておこう。

「おい、キョ――」
「キョン!」

 状況の説明を仰ごうとした俺の声を遮ったのは、聞き覚えのある女の声だった。振り返ると、廊下の向こうから美少女――俺のクラスメイトであり、SOS団の団長である涼宮ハルヒが珍しく険しい表情をして走ってきている。その後ろを遅れて走るのは、キョンを除いたSOS団の団員たちだ。

「キョン! 大丈夫なの!? 電話の声すごかったけど!?」
「わからない……」

 死人が口を利くとしたら、たぶんいまみたいな声をしていたに違いねえ。そのくらいキョンの声には生気がなく、手術中だと思われる国木田よりもそっちのほうが心配になっちまうぜ。

「でもまさか、谷口さんがこんなことになるなんて……」

 SOS団団員の古泉がぼそりと呟いた言葉に、俺ははっとなる。
 聞き間違いなんかじゃねえ。いま確かに古泉は俺の名前を口にした。まるでこの手術室の扉の向こうに俺がいるみてえな調子で。

「おい、悪い冗談はよせよ」

 いくら空気が重いからって、言っていいジョークとそうじゃねえジョークがあるんだぜ? おまえはちゃんとそういうものの使い分けができる男じゃねえのか? そんなふうに怒りを覚える半面で、なぜだか俺の中には焦燥感と不安が満ちてくる。
 誰も俺のほうを見ねえし、俺の言葉を肯定するやつも否定するやつもいねえ。俺に咎められたはずの古泉でさえ何も返してこず、それで余計に俺は不安になった。

「おい、シカトしてんじゃねえよ」

 俺は古泉の肩を掴む。――いや、正確には掴もうとして、失敗した。

 伸ばした手は確かに古泉の肩に触れたはずなのに、何の感触もなく虚しく空気を切る。避けられたのかと思ってもう一度手を伸ばすと、俺の目から見て間違いなく古泉に触れているはずなのに、さっきと同じでまた何の感触もねえ。っつーか、俺の手が古泉の身体を突き抜けちまってやがる。
 それを自覚した瞬間、まるでパズルの最後の一ピースがはめ込まれたみてえに、なくしていた記憶が蘇る。点滅を始めた横断歩道の信号機、俺を呼ぶキョンの声、ぶつかってきたワゴン車――

 みんなが見つめる無機質な扉の向こうにいるのは、間違いなく俺自身だ。

 確信した瞬間に、まるでそれを見計らったかのようなタイミングで手術中のランプが消灯する。ゆっくりと開いた扉からは、キョンたちに負けねえくらいに険しい表情をした医者が出てきた。

「ご家族の方はいらっしゃいますか?」
「いえ、連絡はしたんですけど、出張中らしいので着くのに時間がかかるそうです」

 生きてんのかそうじゃねえのかわからねえ様子のキョンに代わって、涼宮が医者の質問に答える。

「谷口くんは大丈夫なんですか?」
「……手はつくしましたが、助けることができませんでした」

 その台詞に誰もが衝撃を受けたような顔をする中、俺だけはまるで他人事のような冷静さでみんなの様子が眺めていた。

 朝比奈さん……俺のために泣いてくれるなんていい人すぎんだろ。
 長門……はいつもと変わらず無表情だ。
 涼宮……なんでおまえまで泣きそうな面してんだ? 俺のことなんか気にかけたことねえくせに。
 古泉もだ。キョンがおまえのこと胡散くせえって言ってたの、いまなら気持ちがわかるぜ。
 そしてキョン……そんな人生終わったみてえな顔してんじゃねえよ。俺が死んだところで、おまえの生活は何も変わらねえはずだ。だってあの涼宮がそばにいるんだぜ? 悲しんでいる暇なんてきっとねえよ。

 触れねえってわかっていながらもキョンへと手を伸ばしかけた瞬間、キョンは身体を翻し、手術室の扉とは逆方向へといきなり走り出した。

「ちょっとキョン!? どこ行くのよ!?」

 慌てて涼宮がそれを追いかけようとするが、古泉がそれを制する。

「いまは一人にしておきましょう。目の前で級友を亡くされたんです。止めるのは逆に酷だと思います」
「……そうね。ありがとう、古泉くん」

 いつもは無駄に元気な涼宮が、それきり何も喋らず俯いた。他の三人も同じような状態で、手術室の前には重たい沈黙が舞い下りる。ここにいたってどうしようもねえし、俺はキョンを追うことにするか。



 もうどっか遠くまで行っちまったかと思っていたが、病院を出てすぐのところでキョンの後ろ姿を発見する。まるで受験に失敗した学生みてえな――あるいはリストラされたサラリーマンみてえな暗い顔と元気のねえ足取りで夜道を彷徨っている。
 やがて近くの河原まで来ると、土手に腰を下ろした。そして月明かりに照らされたキョンの頬を、一筋の光が流れ落ちていく。

「谷口っ……」

 悲痛な声がキョンの口から零れる。流れ落ちる涙もどんどん量を増していって、あっという間に服の袖を濡らした。
 おいおい、おまえに涙は似合わねえぞ? まったく悲しんでくれねえのも嫌だけど、おまえにはいつもの冷静さを失ってほしくねえ。肩まで震わせて泣いている姿なんて見せられたら……俺まで悲しくなっちまうじゃねえか。

 気づけば俺の目からもキョンに負けねえくらいの勢いで、大粒の涙が溢れ出していた。キョンが俺の死を悲しんでくれたことに喜びなんて感じている暇はねえ。ただどうしようもねえくらいの虚無感と悲しみ、そして寂しさが胸いっぱいに広がって、それが涙という形になって零れ落ちる。

 もっとキョンと話してりゃよかった。
 もっとキョンと遊んでりゃよかった。
 SOS団の活動があろうが、涼宮みたく強引にキョンの手を引っ張って、いろんなところに行けばよかった。
 まだまだおまえとやりたかったこと、たくさんあるんだぜ? たとえば旅行とかな。国木田も誘ってどっか遠くのほうで馬鹿やってみたかった。そういえば三人で海なんて行ったことなかったっけか? なら旅先は海の綺麗なところで決まりだな。
 国木田の見舞い、遅くなったけど行ってやろうぜ? 夏風邪って冬の風邪よりたちが悪らしいし、国木田もやっぱ風邪のときは一人じゃ心細いと思うんだ。だから二人で行って、今日のこと話してやろう。
 そういえばキョンは卒業後の進路とか決めたか? 俺はもちろんまだだぜ。どうせおまえもなんだろう? まあ、その前に来年同じクラスになるかどうかが問題だな。でもたぶん、俺らはまた同じクラスになる気がするな。国木田も一緒で、涼宮も一緒で、そんで担任はきっとまた岡部に違いねえ。
 それから――

 未来を思い描いたところで、俺はそのどれも実現することができねえんだと気がついて、更に悲しくなっちまった。

「キョンっ……」

 心も身体も空っぽになっちまいそうだった俺は、思わずキョンの背中にしがみつく。触れたっつー感覚はもう味わうことができねえけど、それでもキョンの存在を自分の心に刻みつけるように、強く、強く抱きしめた。



 それから一時間くらいして、背中を丸くしていたキョンが急に顔を上げる。まるで何か大事なことを思い出したみてえな表情でポケットの中から携帯を摘み出す。誰にかけたのかはわかなかったが、ボタン操作はひどく慌てているように感じられた。

「まだ病院か?」

 着信側が電話に出たのだろう。キョンの第一声はそれだった。病院っつーことは、どうやら相手はさっき病院に駆けつけたSOS団の誰からしい。

「おまえに頼みたいことがある。電話じゃ俺のこの必死な思いも伝わらないだろうから、会って直接話したい。いまから部屋に行っていいか?」

 少しの間を置いてキョンは通話を切り、おもむろに立ち上がる。その顔にさっきまでの悲しみは微塵もねえ。まるで別人みてえに真剣な表情が浮かんでいて、この短い通話の間にいったい何があったんだと疑問が浮かぶ。
 そもそも電話の相手は誰だったんだ? キョンの頼みってなんだよ?
 考えてみても答えを出すことはできず、俺はただ、再び夜道へと繰り出したキョンについていくしかなかった。




続く





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