06. 再婚


 エッチな夢を見た。

 裸のナイルに抱きしめられ、たくさんキスをして、最後にナイルの手で射精させられる夢だ。夢の中のはずなのに強烈な快感がリアルに伝わってきて、ジャンは慌てて目を覚ます。
 パンツの中を確認すると、現実のそこは勃起こそしていたが、射精はしていないようだった。ひとまず安心し、身体をベッドの内側に向ける。するとすぐ近くにナイルの顔があって、ジャンは跳び上がりそうな勢いで驚いた。
 ナイルは静かな寝息を立てていた。こんなふうにナイルの顔をじっくり見るのは初めてかもしれない。男前だと改めて思う。きっと同級生たちのどの父親よりもカッコいいだろう。
 半開きになった口の下に触れると、相変わらず髭のジョリジョリとした感触がした。自分にも早く生えてこないだろうかと、ジャンは切実に思った。
 それからその手はたくましい胸板や腹筋を通過し、男のシンボルであるそこに触れる。スエットの上から触れたそれは、熱くて硬くなっていた。これが朝勃ちというやつだろうか?
 昨日夜中に目を覚ましたとき、ナイルはこれを自分で扱いていた。その光景を思い出し、ジャンは人知れず興奮する。我慢できずに短パンとパンツを脱ぎ捨てると、さっきから勃ちっぱなしのそれを、昨日ナイルがしてくれたように上下に扱いてみた。

「あっ……」

 やっぱり気持ちいい。ゾクゾクと湧き上がってくるような快感が堪らなかった。
 扱きながら想像していたのは、さっき夢の中で体験したあれだ。ナイルと身体を重ね合い、そしてキスをして、お互いの性器を触り合う。すごくエッチだ。実際にナイルとしてみたいけれど、それは本来なら男同士でやるものではないと、ジャンはなんとなく理解している。昨日ジャンのを扱いてくれたのだって、きっと息子への性教育の一環でしかなかったのだろう。
 そう理解していながらも、父を相手にした妄想を止めることはできなかった。他の人の顔なんか全然出てこない。出てきたところでたぶん、自分は興奮しないのだろうとなんとなくわかっていた。

「あっ、出るっ……あぁっ」

 ナイルの手の熱さを鮮明に思い出しながら、ジャンはついに精液をぶちまけた。昨日ほどの勢いと量ではないものの、全身を電流が駆け巡るような快感は病みつきになりそうだ。

「――さっそく自分でしたのか。このエロガキ」

 いきなりそばから声が聞こえて、ジャンは心臓の委縮する音が聞こえそうなほどに驚いた。恐る恐る視線を下に向けると、さっきまで寝ていたはずのナイルが、意地悪気な笑みを浮かべてジャンを見ていた。

「お、起きてたのかよ!?」
「ついさっきな。お前のイクとこしっかり見させてもらったぞ」
「イ、イク?」
「ああ。精液出すことをイクって言うんだ。にしても、イク瞬間のジャンの顔はすげえ可愛かったな。昨日は後ろからしてたから見えなかったけど」
「うっせえっ。オレがエロガキなら父さんはエロオヤジだっ」

 顔が熱い。ナイルをオカズにしていただけに、その本人に行為を見られていたのかと思うと、ものすごく恥ずかしかった。

「そう恥ずかしがるなよ。男は中学生くらいになれば誰だってやるようになる。お前はそれが少し早かっただけだ」
「……マルコやコニーも知ってんのかな?」
「さあ。いまはまだ知らないかもな。だからジャンのほうが大人の知識を早く知ったってことだな」

 素直に喜んでいいのかどうかわからないが、大人に近づくのはジャンにとっていいことだ。それだけ大好きな父に近づくということだから。



 その日を境に、ジャンのナイルに対する感情は少しずつ変化していった。いや、変化というより、何か別の感情が混じってきた、と言ったほうが正しいだろう。いままでジャンにとってのナイルは、優しくて大好きな父親だった。そこに何か熱を持ったものが入り込んできて、ジャンの心にさざ波を立てる。
 それで具体的に何が変わったかというと、いつもはたくましくてすごいな、としか思わなかったナイルの裸に、強烈に興奮するようになっていた。その感覚は、コンビニに陳列されたエッチな本を、こそっと見たときのそれによく似ている。
 それから、ナイルに教えてもらったオナニーを一人でするときは、いつもナイルをオカズに性欲を処理していた。あの夜に見た、切なげな表情で自身の性器を弄っているナイルの姿か、あるいは背中から抱きしめられ、ジャンのそこをナイルに握られた感触を思い出し、毎日のようにヌいていた。

 その熱さを持った感情が、“恋”であると知ったのは、小学校を卒業する間近のことだ。友達のマルコの家に遊びに行ったとき、彼のパソコンを通じてその感情の正体を調べているうちに、そこに辿り着いたのだった。
 自分の父親に恋をすることが、世間から見て普通ではないということは、十二歳のジャンにだってわかる。しかも相手は男だ。何もかもがおかしい。
 なんて馬鹿な恋をしてしまったのだろうと、ジャンは自分の愚かさを呪った。けれどその感情を自分の中から消し去ることはできず、むしろナイルに会うたびに膨らんでいっている気がする。

「――ジャン、どうした?」

 食事をしている最中、どうやら自分はぼうっとしてしまっていたらしい。ナイルが心配そうに声をかけてきて、ふと現実に戻った。

「ちょっと考えごとしてた」
「なんか悩んでることでもあんのか? それなら遠慮なく俺に言えよ」

 優しく声をかけてくれるナイル。整えられた顎髭は、彼の男らしい顔をいっそう惹き立てている。寝ている間にそこを何度触っただろうか。
 自分と同じ、鋭い目つき。整った鼻筋。薄い唇。広い肩。何もかもが好きで堪らなかった。この好きという気持ちは、いったいどこまで大きくなってしまうのだろうか? これ以上大きくなってしまったら、いったい自分はどうなってしまうのだろうか?



 中学生になると、ジャンは土日が部活で忙しくなり、それを理由にナイルの家には行かなくなった。行こうと思えば行けないこともなかったのだが、ナイルに対する恋愛感情を捨てたくて、しばらく彼と距離を置くことにしたのだ。
 初めの一か月ですぐに寂しさが込み上げてきて、どうしようもなく会いたくなったけれど、我慢した。会ってしまうと、絶対にまた好きという気持ちが大きくなってしまう。それにそばにいたら、自分が父に何をしてしまうかわからない。寝ているときにこっそりしていたキスを、今度は起きているときにもしてしまうかもしれない。
 しかし、距離を置いてもジャンにはナイルに対する気持ちを捨てることはできなかった。むしろ会いたいという思いが募るばかりで、自分がどれだけ彼を好きなのかを思い知らされた。

(でも、会っちゃ駄目だ。いま会ったら絶対駄目になる……)

 自分が想いを爆発させてしまったら、ナイルとの間にあった信頼関係は、一気に崩れてしまうだろう。それどころか、親子の縁さえも切られてしまうかもしれない。いくらナイルが優しくても、ジャンのこの気持ちは絶対に受け入れてはくれないだろう。



 母が、大事な話があると言ってジャンをリビングに呼んだのは、夏も近くなってきた頃だった。

「母さん、再婚しようと思うの」

 真剣な顔で母が口にしたのは、そんな台詞だった。

「へえ、そうなのか」
「そうなのかって……ジャンはそれでいいの?」
「別に、そんなの母さんの勝手だろ? オレが口出しすることじゃねえし、したいんならすりゃいいじゃん。そりゃ、ヤクザとか変なやつだったら嫌だけどさ。でも、そうじゃねえんだろう?」
「まあ、そうだけど……」

 この十三年間、母はジャンを大事に育ててくれた。ナイルのことで時には喧嘩をすることもあったけれど、そうでないときは良好な親子関係でいられたと思う。いろいろ苦労をかけたと自覚しているし、だからこそ母はそろそろ自分の幸せを考えてもいいんじゃないだろうか。

「相手がろくでなしじゃねえんなら、オレは文句なんて言わねえよ。でも、オレはたぶんそいつのこと、父さんとは呼べない」
「ジャン……」
「オレにとっての父さんは、あの父さん一人だけだ。だからってその新しく父親になる人に、変な態度とったりはしねえよ。でも、どう考えてもその人のこと自分の父親だとは思えねえし、呼ぶ気もねえ。それでもいいんだったら再婚すれば」

 ジャンの言葉に、母は渋い顔をした。けれどジャンを叱るようなことはせず、溜息をつきながらキッチンに入っていく。
 再婚するのは母の勝手だし、新しく父親になる人を拒むつもりもない。けれどナイル以外の男を自分の父親だと認識するのは、ジャンには絶対無理だった。

「そういえば、再婚のこと、父さんには言ったのか?」

 キッチンの母は、ええ、と頷く。ジャンに話す前にナイルに話を持っていったというのは、なんだか順番が違うような気がしたけれど、そこはあえて気にしなかった。それよりもナイルがどんな気持ちで再婚の話を聞いていたのか、すごく気になった。
 ショックだったのだろうか? それとも、母のことはなんとも思っていないようだったから、どうでもよかったのだろうか?
 ジャンに父親ができてしまうと聞いて、どう思ったのだろう? 寂しいと思ったのだろうか? それともどうでもよかったのだろうか?
 前者なら嬉しい。ジャンのことを大事に思ってくれているということだから。少しでも自分のことを気にしてくれているのかと思うと、嬉しくなる。
 でも逆に寂しさのあまり塞ぎ込んではいないだろうかと、ジャンはふいに心配になった。そういう性格ではないようには見えるが、自分を溺愛してくれていただけに、もしかしたらという可能性を捨てきれない。
 ナイルの元に行かなければ、と思う気持ちと、恋愛感情を捨てるためには会ってはいけない、という思いがジャンの中でせめぎ合う。

そうやってどうするべきか迷っている内に母は再婚し、新しい家族との生活が始まりを告げた。

 新しく住む家はアパートからそう遠くないマンションだったため、転校の必要はなかった。
 エルヴィン・スミス。それがジャンの新しい父親の名前だった。エルヴィンは温厚でよく物を知っており、真面目な雰囲気の人だった。残念ながらナイルのような面白味はなかったが、決して嫌いではなかった。
 エルヴィンには連れ子がいた。ジャンより歳が一つ下で、名前はアルミンという。エルヴィンに似て温厚で、頭もよく、絵に描いたような優等生だった。最初はなんとなく気に入らなくて、彼に対して素っ気ない態度をとっていたのだが、後にちゃんとプライド持ったやつだとわかると、仲良くする気になった。一緒に過ごしてみると素直でいい子だし、エルヴィンと違っておもしろい部分もあったので、すごく可愛がった。
 そんな新しい家族との生活を続けていく中で、ジャンはやはりナイルのことが気がかりだった。あの家で、一人で何をしているのだろう? 寂しくはないのだろうか?

(父さんも、再婚とかしたりするのかな……)

 母の再婚もあったのだから、父の再婚だってあっても不思議ではない。でももし本当にそういう相手がいるのだとしたら……考えただけで、腹が立った。同時に寂しさと不安が急激に込み上げてきて、ジャンは居ても立ってもいられなくなる。
 一度会いに行こうと思いつくと、もう自分の行動を止めることはできなかった。明日朝から部活があるのも気に留めず、アルミンにナイルの家に行くことを伝えて、マンションを飛び出した。




続く





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