V


 男を抱くなんて想像もつかない。少し前までナイルはそう思っていたはずなのに、最近になっておぼろげではあるが、ジャンとセックスをする光景が妄想できるようになっていた。しかもその妄想をオカズに自分の性欲を処理できてしまう辺り、もはや彼に対する気持ちの正体は判明したも同然だろう。

(あいつのこと好きなのか、俺は……)

 もちろん、実物を目の当たりにして同じように興奮できるかどうかはわからないが、おそらくできてしまうのだろうとほぼ確信していた。
 結局ジャンにほだされてしまったことを悔しく感じるも、決して不快感はない。むしろこれで彼にきちんと返事をしてあげられると、安堵にも似た気持ちが胸の中にある。
 あとはこの気持ちをジャンに伝えるだけなのだが、その日彼の姿は玄関になかった。いつも二週間おきに来ていたから、彼が訪ねてくるのは今日で間違いないはずだ。しかし、何時間待っても玄関のドアを叩く音は聞こえてこないし、ドアの向こうに人影が現れることはなかった。

(まさか道中になんかあったとか?)

 一度そう思うと不安は大きくなる一方で、ナイルは堪らず馬を走らせる。
 初めてジャンと出会った日、彼は人売りに攫われそうになっていた。あんなことが二度もあるとは思えないが、一応路地裏のほうも気にしつつ、疾走する。
 そうして気づけばトロスト区までやって来ていて、辺りには夜の帳が舞い降りていた。ここまで来たらいっそ訓練兵団の兵舎まで行ってみようと、ナイルは懐かしい坂道を登っていく。

「――おや、お久しぶりですね、ドーク君」

 とりあえず詰所にも顔を出しておこうと建物に入ると、廊下で懐かしい顔に出会った。

「おっと、いまは憲兵団師団長殿、でしたね」
「先生にそう言われると、なんだか変な感じしますね」

 声をかけてきたのは、ナイルが訓練兵時代に世話になった教官だった。担当は座学で、穏やかで物知りな人柄をナイルはとても気に入っていた。当時に比べるとやはりずいぶんと老けたようだが、それはナイルも同じである。

「しかし、あなたがこんなところに来るなんて珍しいですね。何か御用でしたか?」
「まあ、ちょっと……。ジャン・キルシュタインという訓練兵に用がありまして」
「キルシュタイン君に? お知り合いなんですか?」
「まあ……いまはこの兵舎内にいますか?」
「訓練兵はいま夕食の最中ですよ。呼んできましょうか? あなたが行くと騒ぎになりそうですから」
「すいませんが、お願いします」

 訓練兵との接点がないとは言え、もしかしたらどこかでナイルを見かけたことがある者もいるかもしれない。そうであれば教官の言うとおり、騒ぎになる可能性もあるだろう。
 教官の姿が見えなくなって三分くらいが経っただろうか。廊下の向こうから、新たな人影がこちらに近づいてくるのが見えた。すぐにジャンだとわかって、彼の無事に安堵すると同時に、人知れず胸が躍る。

「ナイルさん!」

 ジャンはナイルの姿を見とめると、嬉しそうな顔をして走ってくる。

「まさか会えるなんて思わなかったぜ! つーか、なんでこんなとこにいるんだ? 仕事?」
「お前な〜……いつもならお前が俺んちに来る日だろうが。それなのにお前が来ねえから、俺は……」

 心配していたんだぞ、と言おうとしたが、素直に口にするのは悔しくてナイルはその台詞を飲み込んだ。しかし、ジャンにはその続きがわかったらしい。底意地の悪そうな笑みを浮かべ、捲し立ててくる。

「へえ、オレのこと心配してくれてたんだ。ナイルさんがね〜」
「誰もそんなこと言ってねえだろうが」
「じゃあ何しにここに来たんだよ?」
「……近くに用があったから寄ってみただけだ」
「嘘つけ。顔がそう言ってんだよ」

 底意地の悪そうな笑みが、今度は穏やかな微笑みに変わった。そして彼の手がナイルの手を取り、甲に柔らかく口づけられる。

「ナイルさんに心配してもらえて、俺は死ぬほど嬉しいぜ」

 心の底から嬉しそうな声音で言われ、ナイルはそれ以上強がることができなかった。衝動的に彼の身体を引き寄せると、両腕の中に閉じ込める。

「ナイルさん!?」
「道中になんかあったんじゃないかって、かなり心配したんだぞ。来られないなら事前に連絡くらい寄越せっつーの」
「……わりぃ。急に野戦訓練が入ってよ。手紙を書く暇がなかったんだ。心配かけて悪かったよ」

 抱きしめた身体は思っていたよりも細くて、けれど決して軟な感じはしなかった。きっと綺麗な筋肉のつき方をしているのだろう。いずれそれを生で拝める機会もやって来るかもしれない。

「来週末は来られるか?」
「たぶん大丈夫だと思う」
「じゃあ、絶対に来いよ? 部屋暖めて待ってっからな」
「ああ、絶対行くよ。――今日はここまで来てくれてありがとな」

 名残惜しいが、今日のところは帰ろう。とりあえずジャンの顔は見られたし、憲兵団の師団長がいつまでもこんなところにいたら、いつ騒ぎになるかわからない。最後にナイルはジャンの頭を一つ撫でて、訓練兵舎を後にする。

(くそ、なんであんなに可愛いんだ……)

 普段は生意気な口を利くくせに、ナイルが少し積極的になるとすぐに顔を赤くしたり、戸惑ったりする。そんなジャンが可愛くて仕方ないと思っている自分が、なんだか物凄く恥ずかしい。
 けれど一歩足を踏み出してしまった以上、最後まで責任を取るつもりではいる。ちゃんと自分の気持ちを打ち明けて、ちゃんと恋人になって、彼のことを大事にしていきたいとナイルは本気で思っていた。




続く





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