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 週末はいつも憲兵団の仲間たちと朝まで飲み明かしているのだが、昨日は日付が替わらないうちに帰宅し、ナイルはさっさと眠りについた。そして今日は午前の早いうちに用事を済ませ、昼前――つまりいま現在は、間もなくやって来るであろうジャンのために、暖炉を焚いて部屋を暖めているところである。
 ジャンも大概健気なやつだが、自分も人のことは言えないと、雪の積もった窓の外の景色を見ながらナイルは心中で呟いた。こんなふうに健気に尽くしたくなるほど好きになるなんて、彼と出会ったばかりの頃はこれっぽっちも想像できなかったが、ナイルの心は思っていたよりずっと動かされやすいものだったらしい。小生意気で図々しいガキだとばかり思っていたのが、いまはナイルの中で可愛くて愛おしい存在に変わっている。
 あれほど気色悪いだの、見込みはないだのと言っておきながら結局好きになって告白するなんて、正直に言えば恥ずかしい。だが、その恥ずかしさを押し殺してまで彼に想いを伝える意味は大いにある。ナイルもいい歳だ。もしかしたら自分を好きと言ってくれる人はもう現れないかもしれないし、何よりジャンをほかの誰かに取られるかもしれないと思うと、無性に腹が立った。ならばいま告白して、自分のものにしておいたほうがナイル自身も安心できるし、ナイルを好きといってくれるジャンにとってもそれはきっと幸せなことだろう。
 互いが幸せになれるなら、何の問題もない。男同士でどう付き合っていけばいいかなんて、あとから考えても遅くはないだろう。
 まだ見えぬ二人の未来をおぼろげに想像していると、ナイルの耳に玄関をノックする音が聞こえてきた。きっとジャンだ。この間少ししか顔を合わせられなかったせいか、より一層胸が躍る。それが顔に出ないよう表情を引き締め、ナイルは玄関を開けた。

「よう」

 声をかけると、予想通りの人物が顔を上げた。しかし、その顔にいつもの笑顔はない。どこか辛そうに目を細め、息も上がっているようだった。

「お前、どっか具合でも悪いのか?」
「ちょっと風邪ひいたみてえだ」
「マジかよ!? とりあえず中入れ!」

 リビングまで歩くジャンの足取りはおぼつかない。額に触れてみると、予想どおり発熱があるようだった。こんな状態でよくもここまで来られたものだと、感心する半面で呆れてしまう。けれどそれはナイルに会いたい一心だったのだろう。それを思うとやはり嬉しかった。
 外套を脱がしてやると、ナイルはジャンの身体を抱きかかえる。さすがに熱のある人間を暖炉の真ん前に寝かせるわけにもいかないので、二階の寝室に運ぶことにした。
 寝室はリビングの暖炉からパイプを通してあるため、程よく暖まっている。シーツも同様にほんのり温かくなっているようだ。ナイルはジャンの身体をベッドに寝かせ、布団を被せてやった。

「なんか食うもんと薬持ってくっから、大人しく寝てろよ」
「うん……」

 本当は医者に診せたほうがいいのだろうが、今日は医者も休みだ。幸いにも風邪薬と頓服薬はあるから、それを飲ませて様子を見るしかないだろう。
 薬を飲むには少しでも食べ物を胃に入れないといけない。いまのジャンには固形物はきついだろうから、すり潰した芋をスープに混ぜて飲ませよう。

(こりゃ、告白なんぞしてる場合じゃないな)

 二人の関係が進展するのはまた今度の機会になりそうだ。
 長く一人暮らしをしていると嫌でも料理の手際がよくなるもので、ナイルはあっという間に芋のスープを作り終えた。それを持って寝室に戻ると、横になっていたジャンがゆっくりと身体を起こす。

「これなら食えるだろう?」
「うん……ナイルさんが食べさせてくれるんだったら大丈夫」

 弱々しくはあるが、にやりと笑ったその顔はいつものジャンだ。そんな顔をできるくらいの元気はあることにナイルは安堵し、スープをスプーンに一杯すくってジャンの口元に持っていってやる。

「ほら、食えよ」
「マジでしてくれんのかよ!?」
「俺にだって病人に尽くしてやるくらいの優しさはあるっつーの」

 ジャンは嬉しそうな顔をしながらスプーンにかぶりついた。

「口の端から零れてんぞ」
「自分で食うのとは勝手が違うんだよ。結構難しいな」
「じゃあ自分で食え」
「やだね。せっかくナイルさんがあ〜んしてくれるんだから、それ全部食べさせてもらうに決まってんだろ」

 この台詞のとおり、結局スープはナイルが全部食べさせてやった。美味しそうに食べるジャンの顔を見ていると、甲斐甲斐しく世話を焼くのも決して悪い気はしなかった。

(そういえば、あいつもこんなふうに看病してやったっけな……)

 思い出したのは、亡き妻の姿だ。余命わずかという頃には、彼女は自分でスプーンを握ることもできなくなってしまい、いまのジャンのようにナイルが食事を食べさせてあげていた。弱っているはずなのに、ナイルが作った料理を食べる彼女はいつも幸せそうに笑い、美味しいと言ってくれた。その顔を見るたびナイルは嬉しくなると同時に、もうそれを見ることができるのもあと少しの間だけなのだと思い至って、切なくなったのをよく覚えている。

「ほら、薬だ」
「サンキュー」

 ジャンには一生健康体であってほしい。最愛の人の残された“時”を気にしながら生きていくような人生は、できればもう勘弁願いたいものだ。

「はあ、薬飲んだら眠くなってきたぜ」
「おう、寝ろ寝ろ。よく寝てさっさと治せよな。明日は狩人祭だから、訓練兵団も確か休みだろ?」
「ああ」
「なら今日はここに泊まってけ。馬に乗るのも辛いだろ?」
「ちょっときついかもしんねえ。今日は実家に泊まるつもりだったから、外泊届は出してるぜ」
「そうか。ならなんも問題ないな」

 とりあえず眠いのなら寝かせておこう。自分がここにいるとジャンも寝にくいだろうと、ナイルはリビングに移動しようと立ち上がる。しかし、ドアに向かって一歩踏み出した瞬間にジャンの手に裾を掴まれ、その足が止まった。

「そばにいろよ。一人じゃ寂しいだろうが」
「ガキか、お前は」
「ガキで結構だ。ほら、隣空けるからこっち来てくれよ」

 ジャンは奥側に身体を寄せると、布団を捲って隣に入るよう促してくる。

「俺に風邪がうつったらどうしてくれる」
「そんときはオレが看病してやるよ。――ほら、早く。寒いだろ」
「……ったく」

 病人の、しかも自分が恋心を寄せる相手のわがままとなれば、聞いてやるほかにないだろう。風邪はもらうことになってしまうかもしれないが、どうにも弱った姿を見せられると拒否できない。だからナイルはジャンの隣に入ることにした。

「わがまま言ってごめんな」
「急に殊勝になるな。可愛いだろうが」
「へへっ」

 ジャンはナイルの身体に自分の身体をすり寄せてくる。

「ナイルさんの身体冷たくて気持ちいい」
「お前の身体はやっぱ熱いな。寝て熱が下がればいいんだが」

 ナイルはジャンの身体を抱きしめ、後ろ頭をゆっくり撫でてやった。そうしているうちに腕の中から寝息が聞こえ始める。見れば安心しきったような顔でジャンは眠っていた。

(俺も少し寝るか……)

 休日に珍しく早起きしたせいか、なんだか少し眠い。起きていてもどうせすることはないし、このままジャンと一緒に寝ていよう。そうしてナイルは目を閉じるのだった。




続く





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