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 ナイルがふと目を覚ますと、窓の外はすっかり夜の景色に変わっていた。一階の暖炉の火が消えたのだろう。部屋は少し肌寒くなっている。
 身体を起こすと、それに気づいたジャンが「う〜ん」と唸りながら目を覚ました。

「気分はどうだ?」
「かなりマシになった。あの薬すげえ効くんだな」
「結構値が張るやつだからな。熱は……下がったみてえだな。薬もそうだが、寝たのも身体によかったんだろう」

 顔色もずいぶんよくなっているようだし、とりあえず悪化しなくてよかったと、ナイルは胸を撫で下ろした。

「ずっとそばにいてくれたのか?」
「まあな。つっても俺も寝てたんだけどな」
「それでもそばにいてくれたんなら嬉しいぜ。ありがとな」
「別に礼を言うほどのもんでもねえだろう。添い寝くらいいつでもしてやる」
「本当か!? じゃあ今日の夜も一緒に寝てくれよ!」
「ああ、いいぜ。でもいまこんだけ寝たから、夜は寝れないだろうな」
「そっちのほうが好都合だ。ナイルさんの身体の感触とか存分に味わえるし」
「生々しいこと言うのやめろっつーの」

 それから二人は一階に下り、ナイルは暖炉に再び火を灯してから風呂の準備に取りかかる。熱が下がったとは言え、風邪が完治したわけではないジャンには、本当なら身体を拭くだけのほうがいいだろう。しかし、本人がナイルと一緒に風呂に入りたいと言って聞かないので、結局準備をすることになったのである。

「コーヒー淹れといたぜ」

 準備を終えてリビングに戻ると、ジャンがキッチンのほうからカップを二つ持って出てくるところだった。

「病人がそんなに動いてんじゃねえよ」
「こんくらい大丈夫だよ。ブラックでよかったよな?」
「ああ。サンキュー」

 ジャンの淹れてくれたコーヒーを一口すする。風呂の準備中にすっかり冷えてしまった身体に、温かな熱がじんわりと広がってきた。

「美味いか?」
「インスタントコーヒーなんぞこんなもんだろ」
「そこは空気読んで美味いって言えよ」
「あ〜、はいはい。めちゃくちゃ美味いぞ」
「もうおせえって!」

 それから少し他愛もない話をして、そろそろ頃合いだろうと二人して風呂場に向かった。
 湯の温度を確かめてから、脱衣室で服を脱ぎ始める。ジャンは相手が想い人であれ、同性の前で裸になることには抵抗がないのか、すがすがしいほどの脱ぎっぷりを見せてくれた。
 露わになった裸体は、過酷な訓練を積んでいるおかげかしっかりと筋肉をつけているが、ナイルのようにそれほど厚みはない。まだ成長途中と言った具合だ。
 腰のラインは男にしては細く、しかし腹にはしっかりと溝が刻みこまれている。たくましいというよりは、しなやかという言葉がふさわしい身体だ。
 いまはこちらに背を向けているため、彼の性器がどんなものかはわからないが、代わりに触り心地のよさそうな尻がすぐ目の前にある。全身についたベルトの痕もナイルの目には扇情的に映って、気を抜くとあらぬ部分が元気になってしまいそうだった。

(あんま見ないようにしよう……)

 とりあえずジャンの身体からは視線を外して、無心になってナイルも着ているものを脱いでいく。

「ナイルさんの身体、やっぱすげえな。腹筋も胸板も厚いし」
「筋トレ続けてりゃ誰だってこうなるだろうよ」
「へえ。なあ、触ってみてもいいか?」
「あとにしろ。寒いからとりあえず中に入るぞ」

 浴室は脱衣室よりも更に寒い。この分だとせっかく沸かしたバスタブの湯も、あっという間に冷めてしまうだろう。
 足を浸けると、冷えた身体には少し熱いくらいの温度だったが、気にせずナイルもジャンも身体を湯に沈める。

「は〜、気持ちいいな」

 大袈裟なくらいに気の抜けた声を上げたジャンは、こちらに背中を向け、そのまますっぽりとナイルの股の間に収まった。

「おい、くっつきすぎだろ」
「狭いんだから仕方ねえだろ」

 確かにそのとおりなのだが、やはり肌と肌が触れ合っていると、興奮してしまうのを抑えられない。なんとかいまはギリギリのところで堪えられているが、それもいつまで持つだろう。
 それからジャンは珍しく大人しかった。ナイルも別に会話をする必要もないかと、黙って湯の温かさに身を任せる。二人の息遣いだけが、静かな浴室内に響いていた。

(言うなら、いまだろうか?)

 風邪の騒動で少し忘れかけていたが、そもそも今日は自分の気持ちを伝えるためにジャンを家に呼んだのだ。二人の間に静かな空気が流れているいまこそ、それを実行するいいタイミングではないだろうか?
 風呂の中で告白なんて変わったシチュエーションではあるが、今更恰好をつけたいとも思わない。いまだと思ったこの瞬間にすべてを打ち明けるべきだろう。

「ジャン。前にも言ったが、俺は結構おっさんだぞ? こんな男がもし本当に恋人になったとして、お前は本当に嬉しいのか?」

 それでもやっぱり最後に彼の気持ちを確認しておきたい。そう思ってナイルは訊ねる。

「歳なんて関係ねえよ。ナイルさんが恋人になってくれるなら、オレは死ぬほど嬉しいぜ? それにナイルさんは言うほどおっさんじゃねえよ。顔も男前だしな」
「……いや、俺は本当におっさんなんだ。四捨五入したら四十路だしな。だから怪我の治りだって悪い。それは心の怪我も同じだ。だからな、お前と恋人になったとして、もしもお前が飽きて別れるってことになったら、俺は相当でかいダメージを喰らうことになる」

 ナイルのジャンに対する気持ちは、結局のところ弟的な存在を大事に思うというのを飛び越えてしまった。可愛くて、愛しくて――妻を亡くして以来、なかなか芽生えることのなかった感情を、この少年が思い出させてくれたのだ。
 怪我の治りが遅いというのは本当だ。いや、もしかしたら今度こそ立ち直ることができなくなるかもしれない。そういうリスクが少なからずあるからこそ、どうしても慎重になってしまう。

「臆病だと笑うかもしれねえけどな、やっぱりこええんだよ、大事なやつがどっかに行っちまうってのは。あんな喪失感は二度と味わいたくない」

 相手を亡くすのとは少し違うかもしれないが、飽きて捨てられるのだってかなり辛いはずだ。ジャンを想っていた心にはぽっかりと穴が空いてしまって、きっとそれはなかなかふさがらないのだろう。

「……オレはどこにも行かねえよ。ナイルさんが嫌つっても、絶対に離れねえ。それは嘘なんかじゃねえ」

 こちらを振り向いたジャンの目は、自分の台詞に嘘偽りがないと雄弁に語っていた。

「何回も言ったけど、オレはナイルさんが好きだよ。つーか軽い気持ちならわざわざリスク犯してまでこんなところに通わねえって。それでもまだ疑わしいってのか?」
「すまん……確信が欲しかったんだ。やっぱり若いときほど自分に自信を持てねえからな」

 しかもジャンはナイルより一回り近く歳が下だ。ナイルも決して自分がくたびれているとは思わないが、やはりもっと若い男のほうが普通なら魅力的に見えるだろう。だから本当にこんな自分でいいのかと、足踏みをしてしまうのも無理はない。

「でも、いまのお前の目を見てわかったよ。一時の気の迷いとか、軽い気持ちなんかじゃねえ。お前は本当に俺が好きなんだな」
「だから前からそう言ってるだろ? 少なくとも両手じゃ足りないくらいには言ったぜ?」
「そうだったな。ちょっとでも疑ったりして悪かった」

 ジャンの気持ちが確かなものだとわかったなら、あとはナイルがもう一歩踏み出すだけだ。いま浸かっている湯のように温かなこの気持ちを、彼にきちんと伝えなければならない。

「――愛してる」

 この言葉を口にするのも、いったい何年ぶりだろうか? ずっと心の奥底に封印し、誰にも抱かなかった気持ちを、誰にも言わなかったその言葉を、ナイルは静かに口ずさんだ。

「お前を愛してる。流されたとかじゃなくて、ちゃんと愛してるんだ。お前と同じでその気持ちに嘘はねえ」

 言いながらナイルはジャンの身体を抱きしめる。腕を回した腰回りはやはり細くて、本当にまだ少年の域を脱していないのだと改めて思い知らされた。

「男と付き合ったことなんてねえから、お前ともどう付き合っていったらいいのか、正直よくわからん。恋人らしいことっつったらセックスくらいしか思いつかねえ。でも……お前をずっと大事にするって、それだけはいま約束できる」

 ジャンも男だから、“守る”という言葉はそぐわないだろう。“大事にする”という言葉も微妙なところだが、いまのナイルが約束できる確かなことはそれだけだ。

「オレでいいのか?」

 少しの間を置いて返ってきたのは、そんな台詞だった。

「こんなガキで、ナイルさんはいいのかよ?」
「あんだけ好き好き言ってたやつが今更何訊いてんだ? 駄目なら愛してるなんて言うかっつーの」
「そうだけど、やっぱナイルさんがオレを好きなんて信じらんねえよ。だって――」

 ナイルはジャンの顔をこちらに向かせると、何か言おうとした彼の口を自分の口で塞いだ。いきなりのことにジャンは目を見開いて驚いているが、そんなの知ったことではない。わずかな隙間から舌を忍び込ませると、これが彼との初めてのキスだということも忘れて、しばらくジャンの口内を蹂躙する。

「……これでも信じられねえか?」

 たっぷりディープなキスを味わってから訊ねると、ジャンは驚いた顔のまま首を横に振った。

「い、いきなりキスとかびびんだろうがっ!」
「仕方ねえだろう。そうでもしねえとお前、ああだ、こうだって言いそうだったからな」
「だからってキスはねえだろ!」
「なんだ? じゃあもっとすごいことしてほしかったのか?」
「ち、ちげえよ! いや、そりゃしてえけどさ……」

 台詞の後半はボソボソと呟くような声音だったが、こんなに密着していてナイルがそれを聞き逃すはずもない。

「あ〜、いまので完全に勃っちまった」
「はあ!? って、うわ、なんか硬いもんが腰の辺にっ」
「好きなやつを裸で抱きしめてんだ。しかも抱かれたいとか言ってくれるし、それで勃起しないわけがねえだろ」
「別に抱かれたいとか言ってねえよ!」
「何、じゃあやりたくねえのか?」
「そ、そりゃやりてえけど……いまからか? まだ心の準備ができてねえ」
「別にいますぐってわけじゃねえ。俺のほうはもういろいろと覚悟を決めてるから、あとはお前次第だ」

 本音を言えばすぐにでもジャンを抱きたかったが、大事にすると決めた以上、彼の気持ちを尊重しなければならないだろう。あれだけナイルをオカズにオナニーしているだのと豪語していた彼でも、やはり実際にセックスをするとなると、すぐには覚悟を決められないようだ。

(まあ、したことねえって言ってたしな。いろいろと怖いんだろう)

 そういうナイルも男とのセックスは初めてだが、相手の身体が自分と同じ男であるということ以外は、女とするセックスとそれほど変わりはないはずだ。ジャンに痛い思いをさせまいと、そういった類の本もしっかり読んで、本当に準備万端な状態だ。書店で店主に変な目で見られたのも、いまとなっては懐かしい思い出である。

「どっちにしたっていまから飯だ。食い終わってからも時間はあるし、ゆっくり考えろよ。別に今日じゃなくたっていいんだぜ?」
「……そんないきり勃ったもん人に押しつけといて、よくもそんな余裕ぶったこと言えるな」
「うっせえ。お前だってさっきから勃ちっぱなしだろうが。しっかり見えてんだよ」

 さっきまでシリアスな告白シーンだったはずなのに、いつの間に勃っただの、やりたいだのという下世話な話になったのだろう。

(ああ、そういえば俺がキスしてからだ)

 あのときは無我夢中だったせいか、彼の唇の感触をもうあまり覚えていない。だからそれを確認しようと、ナイルはもう一度ジャンにキスをするのだった。




続く





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