02. 今から俺とおまえは恋人同士だ


 立体起動はどっちかっつーと得意なほうだった。だが、最近はすこぶる調子が悪い。今日も木を避けきれずに接触し、バランスを崩して地面に落下してしまうというヘマをやらかしてしまったところだ。高所じゃねえから擦り傷くらいで済んだが、気をつけねえと下手すりゃ死んじまうな。

「ライナー、大丈夫?」

 同じ班の面々が俺の元に降りてくる中、クリスタが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。

「大丈夫だ。たいしたことはない」
「本当に? どこか切ったりしてたら言ってね。応急処置くらいなら私にもできるから」
「ああ、サンキューな」

 本当にクリスタは天使だな。俺がホモじゃなかったら、たぶん一発で惚れていただろう。

「ライナー、最近調子悪いみたいだけど、何かあったのかい?」

 そう訊ねてきたのはアルミンだ。俺が調子を崩しているのは、どうやら他のやつらにもわかっていたらしい。まあ、訓練毎に怪我してりゃさすがにわかるか。

「別になんもねえよ。身体も大丈夫だし、次に行こう。他の班に遅れをとりたくないからな」
「ならいいけど。何かあったら、いつでも言ってね? ライナーにはいつも世話になってるし、僕にできることがあればいつでも力になるから」

 アルミンも天使だな。今日の班は天使ばかりでなんか心がふわふわしてくる。

「まったく、情けないね」

 ……と思っていたが、一人とても天使とは言いがたい毒舌女が紛れているのを忘れていた。
 アニはただでさえ悪い目つきをより鋭くさせ、容赦のない言葉を俺に浴びせてくる。

「足を引っ張るんじゃない。何を考えてるのか知らないけど、もっと集中しな」
「……ああ、悪いな。ここからは気をつける」
「まったく、あんたといいジャンといい、普段立体起動ができるやつが失敗してると、こっちまで調子が狂ってくるよ」
「ジャ、ジャンがどうしたって?」

 まさかアニの口から今その名前が出てくるとは思ってもみなくて、俺は過敏に反応してしまった。思わずアニの細い肩を掴めば、十分美人の部類に入るその顔は怪訝そうに俺を見る。

「あいつ、この間からどうも立体起動の訓練で調子崩してるみたいなんだよ。今のあんたと同じようにね。何、もしかしてジャンと何かあったの?」
「……別に、なんもねえよ」

 いや、実際は俺の人生の中でも大きな出来事があったけどな。
 俺が調子を崩し始めたのは、ジャンに告白してからのことだ。自分の想いを打ち明けて確かにすっきりはしたのだが、ジャンと顔を合わせるのはかなり気まずかった。ジャンのほうもそのことをかなり気にしているようで、挨拶をするとぎこちない返事ばかり返ってくる。
 ホモに対する偏見はないと言っていたが、やっぱり自分が的になるのはいい気持ちがしないんだろうか。以前みたいに自然に会話することができなくなって、俺はそれをどうしようもないくらいに気にしている。
 訓練中もそのことをつい考えてしまい、さっきみたいな失敗に繋がっているわけだ。まったく、我ながら情けねえ。けど、どうすれば元通りになれるのかもわからず、結局何一つ解決していない状態だ。相談しようにも内容が内容なだけに、おいそれと他人に持ちかけることもできない。
 


 その後はなんとか持ち直したが、最後までいつもの調子が出ることはなかった。同じ班になったやつらには本当に申し訳ないと思っている。

「気にしないで。いつものライナーのペースだったら、きっと僕はついていけなかったから」
「私もだよ。今日のくらいがちょうどいいペースかな」

 アルミンとクリスタの優しさに思わず涙が出そうだ。二人まとめて結婚したい。

「それより、医務室に行ってきたほうがいいんじゃないかな? さっきは気づかなかったけど、肘のとこと顔に傷ができてるよ。消毒だけでもしておかないと、菌でも入ったら大変だ」
「ああ。じゃあ、行って来るとするわ」

 破傷風とか怖いしな。ちゃんと処置をしてもらおう。
 休憩間に医務室に向かい、ドアをノックするが返事はねえ。担当は留守にしてんのか? まあ、留守なら留守で勝手に薬を使っていいと言っていたから、そうさせてもらおう。
 俺はてっきり中に誰もいないと思っていたのだが、ドアを開けると人の動く気配がした。そっちに目をやれば、見慣れたツーブロックヘアーがこちらを振り返るところだった。

「ジャン!?」
「ラ、ライナー!?」

 互いに必要以上に驚き合い、その後はすぐに気まずい沈黙が場の空気を支配する。
 正直、今一番顔を合わせたくなかった相手だ。しかも二人きりなんて、今の俺にとってはかなりの試練だ。さあ、どう乗り切ろう。

「……最近、調子悪いみたいだな」

 とりあえず何か話そう。そうすることで、もしかしたら元の俺たちに戻れるきっかけが見つかるかもしれない。。

「ああ、おかげさまで絶不調だ。そういうライナーこそ、調子悪いって噂に聞いたぜ?」
「ああ、まあ、ちょっとな……。やっぱり俺のせいなのか?」
「それ以外に、俺の日常にこれという変化はなかったからな。つーか俺はさておき、なんで告白した側のおまえが調子崩してんだよ?」
「あれから俺たち、前みたいに普通に会話できなくなったろ? どっかぎこちないっつーか……やっぱり気味悪がられてるんだと思うと、調子が出ねえ」
「別に気味悪がってはねえだろう?」
「でも気持ち悪いだろう? 男に、しかも俺みたいなのに告白されたんだ。誰だっていい気はしねえはずだ」

 アルミンやエレンのような可愛い感じの男に告白されたなら、ノンケでも少しは靡いていたかもしれない。だが、俺は男臭い顔しているし、ガタイもいい。そんなやつに告白されたって一つも嬉しくねえだろう。

「そういう偏見はねえって言ったはずだ。だからおまえのこと気持ち悪いだとか思っちゃいねえよ」
「だが……」
「だが、じゃねえよ。思ってねえもんは思ってねえんだ。そんなことより、消毒してやるからそこ座れよ」
「お、おう……ジャンがやってくれるのか?」
「顔の傷、自分じゃ処置しにくいだろう? その代わりオレのもやってもらうぞ」

 よく見ればジャンの頬にもいくつか傷ができている。俺と同じように、さっきの訓練でつくってしまったんだろう。

「男前が台無しだな」
「傷は男の勲章さ」
「まあ、俺は傷がついてても、その顔好きだけどな」
「ばっか……今そんなこと言うんじゃねえよ」

 ああ、なんか段々と普通に会話できるようになってきたな。まだ少し緊張はしているけど、ここ何日かに比べれば、だいぶ距離感も縮まった気がする。ちょっとホッとした。
 ジャンは救急箱から綿みたいなものをピンセットで摘み出すと、それに消毒液を付けて俺の頬に押し当ててくる。

「いって……沁みるな、これ。つーか、おまえなんだか手慣れてるな」
「ここんところ、すっかり常連になっちまってたからな」

 俺もこの間処置をしてもらいに足を運んだが、そのときはどうやらジャンとタイミングがずれていたらしい。
 にしても、ジャンに手当てしてもらえるなんて嬉しいな。これじゃまるで恋人じゃないかと、快適な脳内があらぬ妄想を抱き始める。

『薬の代わりに、俺の唾液で消毒してやるよ』

 とか言って俺の顔の傷を舐めるジャン。そしてジャンの顔の傷を舐める俺。勢い余ってキスをする二人。よし、今度この妄想でヌいてみよう。

「何にやけてんだよ、気持ちわりぃな」
「にやけてねえよ」
「いいや、にやけてたね。何か変なことでも考えてたんじゃねえだろうな?」
「別に考えてねえよ」

 いや、頭ん中じゃジャンのこと押し倒し始めてたけどな。

「ただ、好きなやつに手当されんのは嬉しいなって思ってただけだ」
「……っ」

 たちまち顔を赤くするジャン。そんな反応をするってことは、決して脈なしというわけじゃないんだろうか?

「……なんで、オレなんだよ?」

 照れているような、それでいて怒っているような顔で俺を睨みながら、ジャンはそんなことを訊ねてくる。

「アルミンみたいな中性的なやつを好きってんならまだわかるけど、オレなんてどっからどう見ても男だぞ? 何がいいのかさっぱりわかんねえ」
「何言ってんだよ。おまえほどのいい男を、俺は見たことないぞ」

 確かにアルミンも魅力的だとは思うが、ジャンに比べたら取るに足らねえ。いや、俺にとっちゃどんなやつでもジャンには敵わねえんだよ。

「その男らしくて整った顔も、正直すぎる性格も、細いけどちゃんと筋肉のついた身体も、俺は全部好きだぞ」

 この間はちゃんと顔を見て言えなかったから、今日はジャンの切れ長の瞳とちゃんと目を合わせて、自分の気持ちを告白する。

「俺はずっとジャンのことを見てきた。だからおまえのいいところも悪いところもちゃんとわかっているつもりだし、わかった上でおまえを好きになったんだ。もちろん知らないことだってあるだろうけど、それはこれから知っていきたいと思うし、俺のこともジャンに知ってもらいたい」

 一世一代の告白だが、不思議と恥ずかしさや緊張は感じなかった。まあ、その場の雰囲気もあったんだろうが、すでに一度告白しているわけだし、二人の仲が険悪になるわけじゃねえってわかってるから、普通に言えたんだろう。
 だが、一方のジャンはさっきよりも更に顔を赤くして、いまにも沸騰してピーとか音が聞こえてきそうだった。今日のジャンはおかしい。いつものこいつなら「キモい、このホモゴリライナー!」とかいってあしらってくるはずなのに、いったいどうしたっていうんだ?

「おまえっ……なんでそんなこと、恥ずかしげもなく言えるんだよっ」
「そりゃ、告白だからな。どうせ振られるんだったら、思ってること全部言っておきたかった」

 予想外の反応は見せてくれたが、この告白に対するジャンの返事はもうわかっている。こいつには好きなやつがいて、いつもそいつのことばかりを見ていた。その鋭い目つきが、好意を乗せてこっちに向けられる日なんて、きっと死ぬまで来ないんだろう。

「……決まったわけじゃねえだろ」

 ボソボソと、ジャンが何かを口にする。

「すまん、何が決まってないって?」

その言葉の前半部分が聞き取れなくて訊き返せば、ジャンは両手で顔を覆いながら声を荒げる。

「だから、振られるって決まったわけじゃねえだろっ! オレまだ何も言ってねえし!」
「はあ!? で、でも、おまえはミカサが好きで、俺は男だから駄目だろう」
「勝手に決めんなよ! ミカサのこと好きなのはホントだけど、別におまえのこと駄目って言ってねえだろ!」
「だ、駄目じゃねえってことは、俺の告白を受け入れてくれるのか!?」

 こんな展開、ちっとも予想していなかった。予想外すぎて、まるで夢でも見ているか、耳がおかしくなったんじゃないかと思ってしまいそうだったが、怪我の痛みが現実だと教えてくれる。
 だが、気分が高揚したのも束の間のこと、ジャンは顔を伏せたまま沈黙し、俺の質問になかなか答えを返してくれない。あれ? いまのは告白を受け入れてくれる流れだろ? そこで押し黙る必要なんてないはずなんだが……。

「……今からオレは、最低なことを言うぞ」

 質問の答えを言う代わりに、ジャンは声のトーンを落としてそんな台詞を口にした。

「ライナーと付き合ってもいい。だけどそれは、お試しだ」
「お試し?」
「ああ。オレは今まで男を好きになったことなんかねえから、ライナーのことをちゃんと好きになれるかわかんねえ。ただ、おまえに告白されてみて、嫌な気はしなかった。むしろちょっと、う、嬉しいとか思っちまった。だから付き合ってみてもいいけど、結果的におまえを振ることになるかもしれねえ。それでもいいか?」

 ああ、なるほど。そういうことか。確かに自分の気持ちが曖昧なんじゃ、おいそれと返事もできねえよな。それをはっきりさせるには、試しに付き合ってみるのが一番手っ取り早い。
 お試し、か……。一時的に恋人になれたとして、もしやっぱり駄目でしたなんて言われたら、きっと辛いんだろうな。だが、もし同じように振られるんだとしたら、少しでも恋人気分を味わっておいたほうがいいに決まってる。よし、俺の答えは出たな。

「俺は別にお試しでもいい。けど、おまえはミカサが好きなんだろう? そっちはどうすんだよ?」
「……これは最低なことを言うって言ったやつの続きだ。確かにオレはミカサのことが好きだけど、ここまでの訓練生活で俺に希望はないって悟った。あいつはエレンのことしか頭にねえ。俺があいつの心に入る余地なんてこれっぽっちもねえんだ。けっ、自分で言ってて悲しくなるぜ」

 口に出しては言わねえけど、俺も正直ミカサに関してはジャンに希望はないと思う。ミカサはエレンのことを家族と言って世話を焼いているようだが、エレンを見るあいつの目にはそれ以外の感情もあるように見える。それはたぶん、俺がジャンを見ているときの目と同じなんだろう。

「だからいい加減、ミカサのこと諦めてえんだ。でも、方法がちっともわかんねえ。どんなに楽しいことしたって、やけ食いとかやけ酒とかしたって、結局あいつに対する気持ちは消えなかった。けど、もし他のやつを好きになれたら、そんなものは跡形もなく消えてなくなっちまうのかもしれねえ。たとえば俺のことを好きだと言ってくれるやつがいて、俺もそいつのことを好きになって、幸せになれれば……」
「……そこに体よく現れたのは俺だったってことか」
「そうだよ。な? 最低だろ? オレはミカサへの気持ちを断ち切るために、おまえのこと利用しようとしてるんだ。でも、無理をしてるわけじゃねえ。おまえに告白されてちょっと嬉しかったのは本当だ。たぶんこれが他の男だったら、きっぱり突き返してただろうな。今は恋じゃねえのかもしれねえけど、もしかしたらライナーのこと、マジで好きになる日が来るかもしれねえ」

 たとえ最初は利用されるだけなのだとしても、少しでもジャンが俺に恋愛感情を向けてくれる可能性があるなら、やらないわけにはいかねえだろう。無論、最終的に俺が傷つく可能性だって大いにあるが、さっきも言ったように、もう答えは出ている。

「じゃあ、その日が来るのを信じて、おまえと付き合うよ。要はお試し期間中におまえを俺にメロメロにさせればいいんだろ?」
「ま、まあ、そういうことだ……」
「わかった。じゃあ、今から俺とおまえは恋人同士だ」

 恋人になることを、いったいどれほど俺は夢見たことだろう。理由はどうであれ、やっぱり好きなやつと恋人同士になれたのは嬉しい。思わずにやけちまったが、ジャンはもう何も言ってこなかった。
 恋人同士になれたってことは、今まで妄想の中でしてきたあんなことやこんなことを、実際にやってもいいってことだよな? いや、早まるな、俺。ジャンはまだ俺のこと好きになったわけじゃねえんだ。そういうのは、ジャンの様子を見ながらちゃんと順序を守らなければならないもんなんだろう。
 でも、せっかくだからキスくらいはしてえな。この間は結局寸でのところでできずじまいだったし、そのくらいなら赦されるんじゃないだろうか?

「なあ、ジャン」
「なんだよ?」
「キスしてもいいか?」
「は、はあ!? ま、まだそんなんはえーよ!」

 こいつって顔に似合わず案外ウブなんだな。この分だと今まで交際したことなんてないだろうし、あっちの経験もからっきしなんだろう。いや、俺もどっちも経験ないけどな。

「別に、恋人同士ならキスくらい普通だろう。それともやっぱり、俺のこと嫌いか?」
「嫌いじゃねえよ! いきなりだから、ちょっと戸惑っただけだ。べ、別に、したけりゃすればいいだろう」
「じゃあ、マジでするからな」

 俺がそっと顔を近づけると、ジャンは恥ずかしそうに俺を一睨みしたあと、その瞳をぎゅっと閉じた。やばい、そのキス待ちの顔すげえ興奮するわ。結婚したい。
 俺に比べればずいぶんと細い両肩に手を置き、ゆっくりと唇と近づけていく。そして今度は躊躇いもなく、そしてジャンが泣くようなこともなく、互いの唇が触れ合った。

 柔らけえ。なんだこれ。人の唇ってこんなにも柔らかかったのか。

 その感触をもっと堪能していたかったが、これ以上深いキスをするのはきっとまだ駄目だ。ここは我慢をすべきところだろう。名残惜しく思いながらも、俺はそっと唇を離した。

「ジャン、好きだ」

 そして今日何度目かのそれを口ずさむ。

「ばっかっ……何度も言わなくても、もうわかってるって」
「まだまだ言い足りねえんだよ。ずっと我慢してたからな」

 ずっとジャンに伝えたかった。ずっと、ジャンに聞いてほしかった。ほんの短いフレーズだが、俺にとってはいろんな想いを凝縮させた、かなり重みのある言葉だ。

「……せいぜい、俺をぞっこんにさせるんだな」

 顔を赤くしているから照れ隠しなのだろう、ジャンはそんな減らず口を叩く。

「ああ。絶対にぞっこんにさせてやるから、覚悟しとけよ」


続く





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