03. いまを大事に生きるほうが、よほど意味のあることのように俺は思う


 恋人ってのが具体的に何をするものなのか、正直なところおぼろげにしかわかっていない。デートをして、手を繋いで、キスをして……だがやはり、年頃の男が恋人と一番したいことといえば、セックスだろう。

「ジャン……」
「んっ……」

 人気のない倉庫裏で、今日も密かにキスを交わし合う。
 最初こそ恥ずかしいだの人に見られたら大変だのと、あまり積極的ではないジャンだったが、最近は誘えば素直に乗ってくれるし、嫌そうな素振りもまったく見せない。だからといってジャンのほうから誘ってくることはなく、俺はそれが少しばかり残念でならなかった。
 まあ、仕方ないだろう。いまはまだ俺の一方通行だ。このお試し恋人期間中に、絶対にジャンの心を鷲掴みにしてやる。
 俺がしたくて堪らないセックスは、それからだ。ちゃんとジャンが俺のことを好きになってくれて、気持ちが通じ合ってからやるのが正しいことだろう。

「ジャン……」

 唇を離し、少し赤くなった男らしい顔をじっと見つめる。

「なんだよ……」
「好きだ」

 そう言って、決して華奢じゃないが、俺に比べると遥かに細い身体を抱きしめた。少しの間をおいて、ジャンの両手がおずおずといった感じに俺の背中に回ってくる。
この瞬間に、俺はいつもどうしようもないくらいの幸せを感じている。まだ心を通わせられてないのだとしても、その身体が触れ合う瞬間は、なんだか温かくて満ち足りた気持ちになるんだ。

「そ、そろそろ座学の時間だから行こうぜ」
「そうだな」

 男同士というだけに――いや、男同士でなくてもそうなのかもしれないが、やはり人目が気になる。だからおのずと場所も時間も限られるし、逢瀬もこうしてあっという間に終わってしまう。

「ジャン、好きだぜ」

 帰り際にもう一度、自分の気持ちを飾り気のない言葉でジャンに伝える。

「そんなに何度も言わなくても、わかってるっつの」

 顔を逸らしたジャンの耳朶が、少し赤くなっていた。どうもジャンはストレートな言葉に弱いらしい。
 そのストレートな言葉に、いつの日かジャンが同じ言葉を返してくれる日は、果たして来るんだろうか? 俺はいつもそれを夢見ながら、厳しい訓練生活を過ごしていた。



 お試し期間は一か月ということに決まった。その間にジャンのハートを射止められなければ、俺たちはまたただの仲間同士に戻ってしまう。
 けど、ジャンを惚れさせるにはどうすりゃいいんだ? ただ抱きしめて、キスをするだけじゃ何も変わらない気がする。早いとこ何か策を考えないと、あっという間にお試し期間が終わっちまうぞ。

「つーわけで、何か助言を頼む、アルミン」
「え? なんで僕? っていうか、ライナーとジャンって付き合ってたの?」

 頭脳戦といえば、訓練兵の中で一番座学の成績がいいアルミンだろう。俺一人じゃ考えたってらちが明かないし、こういうときは頭のいいやつに頼るに限る。

「いや、頼ってくれるのは嬉しいし、ライナーにはいつも世話になってるから力になりたいけど、僕の得意分野ではないかな……。っていうか、びっくりして今ちょっと何も考えられないや」

 まあ、そりゃそうなるわな。俺のほうは元々ホモ疑惑があったから、男と付き合っていても違和感ねえかもしれないが、相手がまさかあのジャンだとは誰も思わないだろう。

「やっぱりこういうのは気持ち悪いか?」
「あ、ううん。そういう偏見はまったくないよ。ただジャンっていうのが意外すぎて……。でも、段々落ち着いて来たよ」

 まあ、アルミンはたぶん男同士の恋愛に対して偏見はないだろうと思っていたし、だからこその人選でもある。

「え〜と、さっきも言ったように、そういうのは僕の得意分野ではないんだ。恋人ができた経験なんてないし……でも、わかる範囲で何か考えてみるよ」
「すまん、すごく助かる」

 やっぱり持つべきものはアルミンだ。

「う〜ん、そうだな〜……付き合い始めてから、ライナーからジャンに何かプレゼントをしたことはあるかい?」
「ねえな」
「じゃあ、何かプレゼントを贈るのも一つの手だと思うよ。もらって嬉しくないなんてこと、よっぽど変なものじゃない限りないだろうし」
「なるほどな〜。でも、プレゼントを贈る名目がない。誕生日は夏だって言ってたし」
「そこは付き合い始めた記念とか、そういうのでいいんじゃないかな? あまり深く考える必要はないと思うよ」

 プレゼントか。物で釣るみたいに思えてしまうが、時間は限られている。ジャンの気持ちを惹くにはそういう直接的なアプローチも必要だろう。

「でも、ジャンって何が欲しいんだ? 直接聞けば早いんだろうが、それじゃサプライズ感がなくなるし……」
「そうだね。正直に言うと、ジャンって物よりお金のほうが喜びそう」

 確かに。でもプレゼントが現金なんて、いくらなんでもありえねえ。それこそ金で関係を買おうとしているようで、とてもじゃねえがしようとは思わない。

「それ以外だと何がある?」
「そうだ、マルコに訊いてみたらいいんじゃないかな? 彼ならジャンと一緒にいること多いし、ジャンが欲しいと思っているものも知ってると思うよ」
「そうかもな。サンキューな、アルミン」
「ううん。あまりいいアドバイスができなくてごめんね」
「そんなことねえよ。とても助かった」

 それはよかった、と屈託なく笑った顔は相変わらず幼い。こいつはクリスタに負けず劣らずの天使だと、俺は改めて思った。

「あ、噂をすればマルコがやって来たよ。お〜い」

 アルミンが声をかけると、少し離れたところを通り過ぎようとしていたマルコがそれに気づき、こちらに進行方向を変えてくる。

「何か用かい、アルミン?」
「ああ、うん。用があるのは僕じゃなくてライナーのほうなんだけど」
「ライナーが? 珍しいね」

 そういえばマルコとはそんなに会話を交わした記憶がないな。訓練で同じ班になることもほとんどなかったし、失礼ながらその存在を少し忘れかけてたぜ。さっきアルミンが言ったように、いつもジャンと一緒にいたはずだが、どうやら俺の目にはジャンしか映ってなかったようだ。

「ジャンのことで訊きたいことがあるんだ」
「ジャンのこと? わかる範囲で答えるけど、なんだい?」

 マルコもこうして見ると結構男前だな。少し垂れた目が優しそうな雰囲気を醸し出している。ジャンとは真逆だ。

「ジャンにプレゼントを贈りたいんだが、あいつが最近欲しがっているようなものはあるか?
「ジャンにプレゼント? あれ、ジャンの誕生日って夏じゃなかったな? それとも僕の記憶違い?」
「いや、誕生日のプレゼントではないんだ。なんというか、その、いろいろとだな……」

 ここは正直にジャンと付き合い始めたことを言うべきだろうか? だが、アルミンと違ってマルコはジャンとかなり親しげだ。大事な友達が俺みたいな男と付き合っていると知って、果たして素直にそれを受け入れられるだろうか?

「ライナー」

 俺が言葉を詰まらせていると、アルミンがそっと俺の二の腕を突いてくる。

「マルコならきっと大丈夫。だから全部話そう」

 アルミンの顔は真剣そのものだ。そんな顔で言われちゃ、それを信じる他に選択肢なんてねえだろう。

「マルコ、実は……」

 そうして俺は、ことのすべてを包み隠さずマルコに打ち明けた。

「ああ、なるほど。そういうことか」
「なんかすまん」
「別に謝る必要なんてないよ。そりゃ、ジャンの口から直接聞きたかったけど、内容が内容なだけに、たぶんあっちから言ってくれることはなかったと思う」

 アルミンのような可愛い男ならさておき、俺みたいなゴリラじゃ自慢する気にもならねえだろうしな。

「でも、よかったよ。正直、ミカサに関してはジャンが報われる可能性はなかったと思うし、相手が誰であれ、ジャンが幸せになれるならそれでいいと思う。だけどライナーは大丈夫なのかい?」
「何がだ?」
「キスを許した時点で、ジャンはライナーに対してそれなりの好意を持っているんだろうけど、当面のジャンの目的はミカサへの気持ちを捨てることだ。それができそうにないとわかればライナーは捨てられてしまうし、最悪な場合、ミカサへの気持ちを持ったまま、それを紛らわせるためにライナーとの付き合いを続けるかもしれない。その場合は、ライナーはただ利用されるだけで、ジャンから愛情が返って来ることはない」

 そういう可能性だって十分に考えたさ。もし本当にそうなれば、俺はひどく傷つく結果になるだろう。それはちゃんと理解しているつもりだ。

「それでも、少しでも可能性があるなら、そっちに賭けてみたくなるもんだろう? 結果がどうなろうが、少なくともいまはジャンと恋人でいられて幸せだ。だからその時間を大事にしたい。駄目になったときに後悔しないよう、存分に楽しんでおきたいんだ」

 どうなるかわからん未来を心配するより、直面しているいまを大事に生きるほうが、よほど意味のあることのように俺は思う。そう言うと、マルコは納得したふうに頷いてくれた。

「そっか。そのほうが確かに、有意義な人生を送れる気がするし、万が一駄目になったとしても、後悔が少なくて済み気がする。でもライナー、仮にとは言え恋人になったんだから、ジャンのこと大事にしてくれよ。それであいつのこと、幸せにしてやってほしい」
「マルコってすごく優しいね。あのジャンと仲がいいのが不思議に思えてならないよ」

 そう言ったのはアルミンだ。確かに抜き身なジャンと温厚なマルコでは、釣り合っていないような気がしないでもない。

「僕はジャンの正直すぎるところ、結構好きだよ。僕にはとても真似できないしね。時々グサッと来ることも言われるけど、気を遣われないから、こっちも変に気を遣わなくていいし」
「なるほど。上手くバランスがとれているんだね」

 そういうことになるのかな、とマルコは苦笑する。

「それでえっと、プレゼントの話だっけ? ジャンなら最近、下着が欲しいと時々ぼやいているよ」
「下着?」
「そう。ほら、ここで支給されているものって少し履き心地が悪いし、見栄えもしないだろう? だからいいのが欲しいって言ってたけど、まともなのを買おうとすると結構値段が張ると言って、諦めていた」
「なるほど、下着か……。なんか下心があるように思われないか?」
「そうかな? でももらうならやっぱり、確実に使えるものがいいと思うよ。変に気取ったものだと、逆に引かれることもあるし」
「そうか……なら、それでいこう。サンキューな、マルコ」
「お礼を言われるほどのことじゃないよ。それより、そっちこそジャンとのことを話してくれてありがとう。ジャンのこと、よろしく頼んだよ」
「おう。任せとけ」


続く





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