06. 本当の愛なら……


 訓練兵になってから、月日が流れるのがずいぶんと早く感じられるようになっていた。今月もあっという間に終わりが近づき、そしてジャンとのお試し恋人期間ももうすぐ終わろうとしていた。
 できる限りのアピールはやったつもりだ。デートして、手を繋いで、そしてたくさんキスをして……。いいとこばかりを見せられたわけじゃねえけど、それでもジャンを楽しませることはできたと思う……たぶん。
 ……やっぱり不安だな。ジャンの気持ちは相変わらず俺とミカサとの間で揺れ動いているように見えたし、結局あの大雨の日以来、やつの口から“好き”という言葉を聞くことはできなかった。
 だが、ジャンがどちらを選ぶにしろ、それを受け入れる覚悟はできているつもりだ。どんなに不安がろうが、焦燥感に駆れるようが、あとはただ待つことしかできない。

「やあ、ライナー」

 落ち着くことができずに兵舎の敷地内を散歩していると、後ろから声がかかった。マルコだ。いつもの優しげな笑みを浮かべながら、マルコは俺に歩み寄ってくる。

「散歩?」
「まあ、そんなとこだ。マルコも散歩か?」
「馬の飼育当番だよ。それで寮に戻ろうとしたら、ちょうど君を見かけたんだ」

 そこからマルコと少し世間話をした。訓練兵団内の怪しい噂、サシャの食糧強奪失敗談、調査兵団団長のカツラ疑惑……他愛もない話で盛り上がり、少しだけジャンに対する不安を忘れかけていたのだが、寮に辿り着く直前になってマルコはその話題を繰り出してきた。

「ライナー、最近元気ないね」
「……そんなに見てわかるほど元気ないか?」
「うん。もしかして、ジャンのことで何か悩んでる? ほら、この間言っていたお試し期間ももうすぐ終わりだろう?」

 はは、すごいな、マルコは。ドンぴしゃで当てられたぞ。

「やっぱり不安なのかい?」
「正直、かなりな。自分にまったく自信が持てない。どんな返事でも受け入れる覚悟をしているつもりだが、やっぱりフラれるのが恐いみたいだ」
「まあ、ジャンがあんな感じだからね。不安になるのも仕方ないよ」

 マルコは苦笑する。

「この間、やっとジャンの口からライナーとのことを話してくれたよ。一応知らないって体で驚いたふりとかしてみたけど、ジャンはすごく緊張していた」
「まあ、俺もアルミンやマルコに話すときは緊張したからな」
「そうだったんだ。まあ、同性愛は偏見も多いからね。二人ともすごく勇気が要ったろう」

 いくら正直者のジャンとはいえど、やっぱり男と付き合っているなんて打ち明け辛かっただろう。

「それからジャンはライナーとのことをたくさん話してくれたよ。例のプレゼントのこととか、デートしたときのこととか、事細かにね」
「うわ、それはちょっと嬉しいようで恥ずかしいな」
「でも、そのときの口ぶりからしてジャンはライナーのことかなり好きなようだったよ? だから希望を持っていいんじゃないかな?」

 そう、なんだろうか? デートだってジャンを楽しませることができたかどうか自信ないし、かといって他に何をしたというわけでもない。自分のいいところをアピールできたようにはとても思えんな。それをそのまま言うと、マルコは首を横に振った。

「ジャンはライナーのこと、とても優しくて頼りになるといつも言っているよ。たぶんライナーが何気なくしている気遣いがジャンにはちゃんと伝わってるんじゃないかな?」
「だといいんだが……」
「僕は、ジャンには幸せになってもらいたいんだ。なんだかんだで一番仲のいい友達だからね」

 そう言ったマルコの目は、まるで子を思う母のような優しさを滲ませていた。

「そしてライナーならきっと彼を幸せにできると思ってる」
「もちろん、そうしてやりたいとは思ってるぞ」
「うん。それが全身に滲み出てるっていうか、ああ、ライナーは心の底からジャンのことを大事に思ってるんだなって伝わってくるよ。だから安心してジャンを任せられる。きっとジャンだってそう思ってるさ」

 正直ジャンが羨ましいよ、とマルコは言う。

「僕にもライナーのような一途に愛してくれる人が現れないかな〜」
「マルコほど性格のいい男なら、いくらでももらい手がいるだろうさ」
「う〜ん……僕の場合は見た目がな〜」
「何言ってるんだ。俺はその顔、男らしくて結構好きだぞ」
「言われて嬉しくないことはないけど、ライナーに好かれてもな〜。一応僕は女の子が好きだから」
「それもそうか」

 マルコは本当にいいやつだ。ジャンはマルコが友人でいてくれることに感謝すべきだな。

「ありがとな、マルコ。おまえのおかげで少し自信が出てきた」
「それはよかった。ジャンのこと、よろしく頼むよ」
「ああ」



 ジャンの姿を見かけたのは、マルコと話をし、解散した直後のことだった。珍しく一人で外を歩いていると思いきや、よく見ればその隣をミカサが歩いている。
あの二人が一緒にいるなんて珍しい。ミカサといえば普段はエレンやアルミンと一緒にいることが多いし、ジャンはなんだかんだでいつもミカサに話しかける勇気がなさそうだった。それが訓練中でもないのに二人並んで歩いているとなれば、驚いて当然だろう。
 しかもちゃんと会話をしているようだった。ミカサの表情に変化はないものの――それはいつものことだが――ジャンは話しながら、楽しそうに笑っている。

 そんなジャンの姿を眺めながら、俺は自分の胸がちくちくと痛み出すのを感じた。

 せっかくマルコのおかげで希望の灯火が見えたというのに、それが一瞬にして消えてしまう。胸に広がるのは、元の不安に塗れた暗闇ばかりだ。
 結局のところ、やっぱりジャンはミカサが好きなのだ。あんな楽しそうな顔、俺の前では全然見せてくれなかった。いや、俺じゃ引き出すことができないんだろう。あんなに頑張って自分の気持ちをアピールしたが、どうやら俺はミカサに敵わないらしい。
 はは、そりゃそうだよな。普通の男はみんな、俺みたいなガタイがよくて厳つい男なんかより、ミカサのような美人がいいに決まってる。そんなの、よく考えなくてもわかることじゃないか。何を希望なんて抱いてたんだよ、俺……。

 胸が痛い。息が苦しい。目の奥が熱い。

 どんな結果でも受け入れる覚悟はしていたつもりだが、いざ直面してみると、思っていた以上のショックを感じてしまう。胸の奥底からは重くて暗い、破壊衝動にも似た感情が湧き上がってくる。それを抑えるように胸を掴み、走るような勢いでその場を離れる。
 それから寝室の自分のベッドに倒れ込んで、しばらくそのまま動かなかった。もう、何もしたくない。もう、何も考えたくない。そう思うのに頭の中にはさっき見たジャンの姿がフラッシュバックされ、また切ないような感覚に捉われる。

 俺はどうしたらいいんだ?

 目の前の希望がなくなったいま、俺のこの行き場のない気持ちはどうしたらいいんだろうか? 俺はジャンを諦めなければならないのか? そんなの嫌だ。あの綺麗な指も、一見華奢のようだがちゃんと筋肉のついた体も、そして柔らかい唇も、絶対に手放したくない。だが、俺の一方的な気持ちだけじゃ愛は成り立たないと、ちゃんとわかっている。
 いつか聴いた歌にこんなフレーズがあった。

“本当の愛なら、愛する人を自由にしたほうがいい”

 初めて聴いたときは、それは単なる綺麗ごとだと思ったが、いまはその歌詞が痛いほどに胸に響く。
 ジャンを愛している。けれどジャンの気持ちが別の人間に向いているなら、俺の愛はジャンにとって重りのようなものだろう。その重りがある限り、きっとジャンは幸せになれないし、俺自身も苦しい思いをするのが目に見えている。
 だからきっと、ここは俺が引かなければならないんだ。ジャンが何も気にせず前に進めるように、ジャンが幸せに向かって歩き出せるように、自由にしてやらなければならない。



 夕食が終わってからの自由時間。俺はジャンを倉庫裏に呼び出した。
 みっともなく取りすがるなんて真似はしないさ。もう、ちゃんと覚悟を決めている。
 だが、そんな覚悟もやって来たジャンの顔を見た瞬間、大きく揺らいだ。おかしくなってしまいそうなほどの愛しさが湧き上がり、俺は堪らずジャンの身体を抱きしめる。

「おい、いきなりどうしたんだよ?」

 心配そうに訊きながら、ジャンは俺の背中に手を回してくれる。
 温かい。心地いい体温だ。この温もりを、そして抱きしめた感触を、この身に焼きつけておこう。こうして抱き合うのはきっと、これが最後だから。

「ジャン……」

 何度も呼んだ名前を口にすると、ジャンは「ん?」と短く返事をした。その声すら愛しくて、もう二度と離したくないと思ってしまう。
 でも、それじゃ駄目なんだ。それじゃお互いが苦しいだけで、愛ってやつは決して成り立たないだろう。だから俺が終わりにしないといけない。

「別れよう」

 言葉を口にした瞬間、涙が溢れそうになった。だが、ここで泣いたら優しいジャンは俺を気にして前に進めない。だから、なんとか堪えなければならない。

「ふざけんなよっ!」

 短いが楽しかったジャンとの思い出を振り返っていると、俺の腕の中から鋭い声が上がった。




続く





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